月と言うのは世界の上に開いた小さな穴で、
世界というのは誰かの手の中のフラスコの中にあって。
そして、誰かがあの月の向こうからこっちを覗いているんだ。
そして。気に入らなければひとひねりにこの世界をつぶしてしまうんだよ。

いつかセルバンテスはそう言って笑った。
儂はそれを覚えている。









月の光が音を消し
風の音が耳に消え
闇が其の身体の下にだけ広がる。

そんな月夜だった。
そんな月夜には、セルバンテスは必ず儂を尋ねてきた。
そして、何時も儂に当たる月の光をさえぎろうとするのだ。

「なぜ、さえぎろうとする」
「君を見られたくないから」
「なぜ、見られたくない?」
「…月があるから」

月があるから


さえぎるセルバンテスを押しのけて、月を見上げようとした。
そうすると、気がつくとそこには、月ではなくて、丸い穴が開いているのだった。
そして、そこから誰かが

「ダメだよ。見ちゃ」
「何故だ?」
「そうだ、表の自動販売機まで競争しようよ。そして、そこで何かジュースを買うんだ。」
「ジュースを?」
「そう。そう。ジュースを買って飲むんだ。」

ほら。先に行っちゃうよ。
慌てて君が追いかけてくるから、それをちょっとだけ確認して、頑張れ頑張れ。
足の速さじゃアルベルトのほうが速いから。
だから、先陣きっとかないとね、
って、
あら

「遅いぞセルバンテス」

って、笑って追い越して。


舞台は夜。
街灯の下に、寄り添うように自動販売機。
ジンワリボンヤリ光ってる。

街灯と自動販売機に照らされて、君がそこで立っている。
そこなら、目を眩ませる事が出来る。

ねぇ

「速いね、君は」

途中で諦めて歩いてきた私を、つまらなさそうに見て。

「待たせるな」
「ゴメンゴメン。私はウサギなもんでね」
「じゃあ儂はカメか。聞き捨てならんぞ」
「誰もカメって言ってないでしょ」
「言ったも同然だ」
「そうかもねー」
「こら!」
「いやーん」

自動販売機がジンワリボンヤリ光ってる。

そこに居るのが当たり前のように置いてあるけれど、一体誰が置いたんだろうね。
そして、私たちが今いるココは一体ドコなんだろうね。
そもそも、私たちはドコから来たんだろうね。

いままで、どこにいて何をしていたんだっけ?

月が雲に隠れた瞬間を狙って。


キミニキスヲシタ


雲を取り払う風はどうやって作られているんだろうね。
自動販売機の中に人が並んでいて
お金を入れるとそれがセットになって出てくるんだ
そして、テープが回るように彼らは回りだして
私たちはお話を見ることが出来る

月がわずかに雲から覗いた瞬間、右手の暗がりから誰かが歩いて来た。
そして、その人は私たちとは似ても似つかず
しかし人間であることは分かるのだけれども。

私たちに目もくれず

「…」

アルベルトが、何かを感じたらしく、軽く身構えた

そのまま

それは自動販売機の横に立って、自動販売機になった。
私たちはその前に立ってそれを眺める。
自動販売機に並ぶ飲み物には、いろいろな種類があって。

「どれがいい?」
「お前の好きなものでいい」
「こういうときは自分で選ぶものだよ」
「…特に何を選びたいという気分でもない」
「うん、そういう時ってあるよね。何か飲みたいんだけど、何を飲んでイイか分からない」
「そうだ。そういう時がある。」
「まったく」
「もって」

小銭

「小銭はあるか?」
「あるよ。ポケットに入っているはずなんだ。」
「入れたのか?」
「いや、入れてはいないけどね、小銭って言うのはポケットに入っているものなんだ。」

ほら。
ズボンのポケットに手を突っ込むと、丁度二人分のジュースが買えるだけの小銭と、
無意味に1円玉が3つ。
当然さを際出させるためにあるだけ1円玉が3つ。

「小銭を自動販売機に入れよう」
「そうすると、ボタンが光る。」
「そう。ボタンが光るから、その中からどれかを選んで押すんだ。そうすると」
「自動的に選択されてそれは儂等の目の前に転がる」

そう。
自動販売機は一体誰のものなのか誰も知らず

小銭を入れると、いくつも並んだボタンが緑色に点灯した。

「アルベルト。好きなの選んでいいよ」
「好きなもの?好きなもの…この中から選ぶしかないわけだな」
「そうだね。自動販売機だからね。自動であるということはそもそも」
「お前は講釈が長すぎる」
「だって君が聞くから答えているわけであってね。」
「承知だ」
「承知なら聞いてよ」
「いいだろう」



「…」




「…」




「…」




「…」




「いつまで待つつもり?」
「お前が聞いてよと言ったから待っているのではないか!」
「ならば述べよう」「ならば聞こう」

 
 
「自動であるということはそもそもね


 選択すべきものがそこに定められていることに他ならない
 オレンジジュースにするか、コーラにするか、グレープフルーツにするか
 お茶ならば緑茶にするか烏龍茶にするのか、混合茶にするのか
 そして飲物を選ぶ時ヒトは体のことを考える時がある
 これを飲んだら痩せるかもしれないとか、カロリーがどうとか栄養がどうとか

 さぁ

 そろそろ君の飲みたいものは決まったのかい」



「決まらん」
「早く決めなよ」
「セルバンテス、お前が先に選んだらどうだ」
「どうしてだい?」
「どうしてだろう」
「わからないのかい?」
「わからんな」
「しょうがないなぁ」
「仕方あるまい」



私は、緑色に点灯するボタンを一つ一つなでて。

どれにしようか。
散々迷う。



「君だったら、私はどれを選ぶと思う?」
「わからん」
「君はさっきからそればっかりだね」
「しかし」
「しかしもへったくれもないじゃないか。さっきから『わからん』ばっかり言ってるよ」
「そんなに言った覚えはない」
「そうだっけ?」
「そうだ」
「しょうがないなぁ」
「仕方あるまい」


一つ一つのジュースはボンヤリと光に照らされて。
ボタンは光ったまま、私に押されるのを待っている。


「何で私が先に決めなきゃいけないのかな」
「儂が決まらんからだ」
「うそ。決まっているくせに」
「ああ。決まっている」
「じゃあ。君が先に買いなよー」
「いやいやいやいや。儂は後で買う」
「なんでさ!」
「お前が悩むのを見ているのが楽しいからだ」
「ちょっとねぇ、君ねェ」
「ん?」
「しょうがないなぁ」
「仕方あるまい」


コロコロコロン。
音がして、勝手に小銭がおつりの場所に落ちてきた。


「あ」
「時間切れだ」
「…」
「もう一度入れるか?」
「入れる」
「買う気はあるのだな」
「あるさ。君にも…」
「当然ある」

なら。

小銭を投入しなおして。
ふと見上げた月をにらんで。
何にもならないけれど。そんなコトをしたって。
何にもならないけれど。
ここで、選ぶしかない。

そう、それを選んだのは私自身なんだから。

ココでジュースを買うことを選んだのは

そこに君が一緒にいることも

おそらく、偶然なんかじゃなくて…


「どれにするんだ?」
「決まったよ」
「なら、ボタンを押せばいい」
「もちろんさ。ボタンを押すよ。」
「押せ。」
「押すよ。」
「押せ。」
「押すってば。」
「いい加減押さんか!」

ポチ。

「コーラか!?」

「なに。私がコーラ飲んじゃー悪いわけ?」
「…ううう」
「あーわかった。キミ私が選んだもの同じもの買おうとしてたんでしょ」

ドキ。

あはは。胸の鼓動の音。

「ほら、今度は君の番だよ。」

私がそういうと、君は。
私を見て。
月を見上げて。

「見ちゃダメだよ」
「いい。お前が見るなら儂も見る。もうそろそろいいだろう」
「…でも」
「いいんだ」
「…君には分かって欲しくなかったな」
「いい。」

そして。
私の手から受け取った小銭を投入して。
私が買ったものと同じボタンを押す。

ガタン。

コーラが出てきて。君はそれを手にした。

そして、私たちはそれを飲みながら、元来た筈の道を歩き始める。


「甘いねェ、コーラは」
「そうか?あまり甘くない気がするが」
「コーラは甘いものだよ」
「儂には甘さが足りんな」
「それが味覚というものだね」
「まったくだ」
「まったくだねぇ」

元来た道を引き返す。





セルバンテスは月を見上げていた。
だから、儂も月を見上げた。

同じものを手にした。

儂はそれに悔いはない。






遠くで、自動販売機が砂になる。
砂になって風に吹かれて消えた。

大きな穴から覗く目が、光に閉ざされて消える。



そう。あんなものに気付くのは夜だけでいい。




この心と儂のこの手。
セルバンテスのそれもまた


「コーラは甘いねェ」
「少し甘い気もするな」
「おや、気が変わったのかい」
「甘いという言葉の人それぞれの認識の違いというものに」
「気付いたと。」
「さえぎるな」
「はいはい、ドウゾお続けになってくださいアルベルト様」
「…セルバンテス」
「なんだいアルベルト」


セルバンテス。


なんだい。アルベルト。






向かい合うと。
それを一気に飲み干した。
お互いに。
一気に飲み干して。
そのまま
口付けをすると、コーラと言う物は「本当に甘い」のではないだろうかという気になった。






セルバンテスの体中をついばむように唇を以て確かめる。




「ああ…気持ちいいよぅ」
「…悔やまぬか」
「私が?」
「愚問だったな」
「愚問だね。…おいでよ。私の中に。君で満たされたい」





大きな穴から目が覗く。
それに見せ付けるために儂はセルバンテスをそこで抱いた。
月光の中反り上がる裸体を。そうだもっと見るがいい。何度も見るがいい。
そして思い知るがいい。





覗くことは出来ても絶対に手が届かないことを思い知ってしまうがいい。






セルバンテスを月の夜に抱いた次の日は。
何時も冷たい雨が降っていて
それでも、また気がつくと路上の端には自動販売機が立っているのだ。
そうして、儂等はまたそこで。
ポケットに小銭があることに。気付いてしまうのだ。

雨の中。

雨の中。


この雨こそが。


儂とセルバンテスの生きる証。


そう、僕の生きる証

私の生きる証






そう、この雨がね、私たちの命の証。





「月が出たよ、アルベルト」
「…そうか。」
「明日は雨にする?」
「雨かも知れんな…また」
「かもね。でも晴れるかも」
「いつかな。」
「いつかね。」

そう、いつかね。












そしてまた砂になり自動販売機が一つ消え
そしてまた何処かに自動販売機が一つ現れる









〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

コメント

裏を読んでください。
物語には製作者がいて。
その物語というのはその製作者の中の世界の一つで。
その中に生きるものがいて。
その生命体を作り上げた製作者は
一体どんな気持ちでいるのか。

いったい、何を求めたのか。

イートハーブ。選択権は一体どこにあるのか。
誰が決めたのか。

…分かりにくい話を仕上げたことを申し訳なく思いつつ。
しかし、今の力を出し切れた物語をココに仕上げました。
私の力はまだか細く。
何かを伝えられるかどうかは分かりません。
しかし、書くことしか出来ないのです。
誰かに伝えるために。自分に伝えるために。