コォォォォォォ。

低く、然し篭らないエンジン音を響かせて。身体に来る振動は、己の細胞をフツフツと沸き立たせようとするかのように。
…なんて、好い車なんだ。

「…気に入ったみたいだね?」
「たいしたものだな、呆れるのを通り越してしまう」
「其れは、車?それとも私かな?」
「両方だな」

助手席のセルバンテスが、満足そうにシートにうずもれて。
儂をちらりちらりと見ているのは、この車に対する儂の反応が嬉しいからなのだろう。
思惑通りに喜んでやるのは癪だが、こればかりは仕方がない。

「キミを喜ばせるには、手間がかかるねぇ」
「儂を喜ばせるために手にいれたのではなかろう?」
「ん、ま、どうかな」

申し訳ないが。
今の儂には、その理由がどっちでも、かまわない。
この手に握るハンドルの感触。
音。
外見、内装。
全てが、身体の心まで染み渡ってくる、ひどく官能的に、細胞を侵して行く、其れに浸っていたかった。




セルバンテスの邸宅に招かれて。
食事をご馳走になった後、軽く酒を飲まされて、そのまま部屋に泊まることになった儂は。
セルバンテスのその真の意図を、朝の玄関前で知ることになった。


1969・マセラティ・メキシコ。


してやられた、と、まず思った。
艶のあるボディは滑らかに曲線を描いて、フロントへ滑り、その先に切り裂かれそうな緊張感を漂わせて。
指先で触れたら、全部消えてしまいそうな。
リアにいたっては、骨組みのようで、日本車のMR2のミッドシップ部分に似た、
然しそれとは比べ物にならない豪著さを儂の目に叩きつけていた。
「本物だよ。レストアさせたんだ」
信じられない。
こんなに美しいマセラティが目の前にあるということが。

セルバンテスは、まぁまぁ、と儂を運転席に座らせて。
座るのも、躊躇われると言うのに。
「君の好みだろう、こういうのは」
好み、というよりは。
美学だ。








セルバンテス曰く、儂の美意識は、高級すぎるらしい。
「だってさ、葉巻にしたってモンテクリストAだろう?」
…まぁ、確かに。
美しく、脆く、然しその裏側に強さを秘めた。そう言った物が、儂の目に留まるらしい。
すこし、毒のあるくらいの、強さが気に入っている。

「芸術だな、これは」
「だろう?私の好みで言えば、アルファロメオ、キミでいえばマセラティ。そこで選んだのは、ついマセラティ。」
得意げに指を組んで。
然し悪い気はしない。

おっと、そうそう、車の話に熱中してしまったな。
今、儂等が向かっているのは、BF本部。
今日は、全員出席とのことで、何か会議があるらしい。
内容について不明なのは、いつものことだ。そういった不透明な部分が儂は嫌いだ。
少しでも情報があれば、其れについて考えたり、調べたりすることも出来ように。
ひどく押し付けがましいビッグファイヤ、然し儂は其れに従う。
…何故か、それに美意識を感じるからだ。

腐ったか、儂も。

雨が降っていたらしく、微かに濡れを見せている路面に、太陽が反射してやけにまぶしい。
光の直射から目をそらしつつ、バックミラーを確認する。
「ん?」
「どうした?」
…いや、気のせいだろうか。
光が反射したから、そう感じただけなのかも知れない。
やけに、背後のトレーラーが気になって、バックミラーを何度も確認する。
「後ろ?」
「…おい!目立つことは…」
儂の制止も聞かずに、窓から顔を出したセルバンテスは、風になびくクフィーヤを押さえつつ後方に顔を向けて、
「…まずっ」
「何?」

慌てて引っ込んだのが目の端に映り、瞬間。

チュン

「銃撃か!」
「…まいったなぁ、コレじゃまっすぐ本部に向かえないよ」
「一体、誰だ…?国警にしては、やり方が…」
「国警じゃないね。おそらく、私を狙ったんだろう」

ならば、ニヤニヤしてる場合じゃなかろうが。

「私一人なら、対処も面倒だけどね、キミがいるから大丈夫」
「甘えるな、自分の敵なら自分で対処しろ」
「コレは手厳しい」

話している間にも、恐らく弾丸はこの車の脇をすり抜けている。
地面から跳ね上がる微かな煙が、其れを察知させていた。
ちっ。
こんな時に、襲って来る事もなかろうに!

ギィン

「!!!」

ギン、ギンギィィイン

「ミッドシップじゃなくて良かったなぁ」
「そういう問題か!」

くそぅ。
この。
この車に、穴を開けるとは。


いい度胸だ!!!!!





「ア、アルベルト!」


扉を開けて。
失速する車。
迫るトレーラーに、身体を向けて。

「危ないよ?!」
「運転を頼むぞセルバンテス」
「ツケておくよ」
「好きにしろ」

脚をサイドステップにひっかけ、座席に膝をかませて、身体を乗り出す。
飛んできた銃弾が目の前ではじけた。
「儂に銃弾が当たると思ったか。」
ギィン!

また、ボディに…!



「美しきものを愛でることの出来ぬ蝿がァ!地獄で汚物でも漁るがいい!」



ドォン
渾身の衝撃波。
蝿にたかられるような儂ではないわ!

弾け飛ぶ視界の中、煙が舞い上がり
その向こうからトレーラーが顔を出す
砕け散ったトレーラーの残骸を踏みつけ吹き飛ばしながら、その、そのフロントサイドには、
…小型のミサイル!
「面倒な…」
「…!!!アルベルト!前方!」
「なに?!」
振り向くと、マセラティの進行方向から迫り来るのは、二台のトレーラー!
「慌てるなセルバンテス、車を固定しろ」
「判ってるよ、蛇行しててゴメンね、っと。良し、いいよ」
二台のトレーラーは、そちらに進行していた他の車を邪魔にしながら、ともすれば踏みつけながら、
こちらへ、こちらへと
「一般人巻き込むンじゃァねぇよ」
「言葉が悪いぞセルバンテス」
「おやおやごめんなさぁい」
失速していたマセラティが、ぐん、とスピードを上げて。
身体が倒れかけて、より強く脚を突っ張って固定する。
「どうする気だ、セルバンテス!」
「突っ込む」
「なに!?」
バカなことを、言うな!
この車もろとも自爆だぞ、そんなコトは、許さん!

「指示して、アレが、出たら」
アレ?
…ほぅ
「…ふん、成る程…」

風に煽られて閉じようとする扉を押さえて、セルバンテスを脚で小突いた。
「儂がやろう」
「え?」
「お前が飼いならすには、少々じゃじゃ馬だ」

困ったような笑みを浮かべつつ、助手席に戻るのを確認して、
運転席に滑り込む。

ハンドルに、触れて
「スマンな、我慢しろ」
「え?」
「車に言ったんだ」

アクセルを踏み込むと、身体を震わせて急加速する。
疾走する黒いダイヤ。
美しいだろう、貴様等には過ぎた獲物だ。

「…まるで黒豹だね、キミは…今だアルベルト!」



…儂と一曲踊ってくれ、マセラティ



ブレーキを強く踏んで、
ハンドルを切りながらアクセルを踏み込む

タイヤの軋む音と、回転する視界!

「…!!!!っ」
遠くで響き始めた轟音が、マセラティの舞に翻され、過ぎ去っていくのが視界の隅に映る


どぉぉぉぉっぉぉおん


後方に、爆発音。


見るまでもない。


アクセルターン後、エンジンを停止させたマセラティ。
その扉を開けて。
地面に降り立つ。

気を失って、静かに沈黙する淑女を片手に。
風が、強いな。
ああ、爆風か。

向かってくるトレーラーに、片手をかざした。








橋架から、薄汚れたトレーラーのボディが燃えて落ちる









「…妬けるね」
セルバンテスが、そう呟いた。










残骸をすり抜けて。本部へと、向かおうか。
「やけに頑張ったじゃない?」
…当然だろう。
「手にした女を守れなくて、何が男か」
…守りきれずに、ずいぶんと痛い思いをさせてしまったがな。
「キミにそこまで大事にされてみたいもんだねぇ。」
「儂が守るのは、喋らぬ物だけだ、残念だったな、セルバンテス?」
「キミの目にかなった喋らぬ物だけ、だろゥ?」

エンジンを響かせて。

ビルディングの森をすり抜ける。




感謝するぞ、セルバンテス。
ここまで、本気になれたのは久しぶりだ。

どうせ、また儂を煽ろうと思ったのだろうが。

煽られていてやろう。其れは儂の美意識に反するものではないから。



「キミを刺激するのは楽しいねぇ」
「こういった刺激なら、歓迎しようじゃないか」




お前の感覚に毒されるのも、悪くはない。




手にした淑女が、フォン、と、小さく啼いた。






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こめんと
アルベルトが車を運転している姿が書きたくて書きました。
結構、上手いんじゃないかなァ、と。
逆にセルバンテスは機械オンチっぽい部分があって欲しいな。
アルベルトは、結構アナログな人だろうから、あえて昔の車、
管理人の趣味でマセラティ。当然ミッションで。
マセラティメキシコ。1969年製。タマランですよ、この車。
本当は、ベルトーネデザインのアルファロメオモントリオールにしようかと
思ったんですが、アレはアルベルトよりも、ヒィッツとかの方が似合いそうだから。
この間、プレミア物の時計を貰って大喜びするセルバンテスの小説を読んだんですが、
それですごく納得して。
この二人は、なにか、特別なものが似合うぞ。って。

自分自身に、美意識、と呼べるものがある人間は至極魅力的ですね。



追記・マセラティはイロイロあるんですが、マセラティ・メキシコは、ほとんど見られません。
ネット上で画像探してみたんですがありませんでした。
日本には入ってこなかったっぽいですね。
マセラティという車は、ほとんどがスーパーカーの部類でして、F1ではフェラーリの次点に何時も君臨してます。
裏返せば、フェラーリを抜くことが出来ないんですが。

美しさだけを追求したわけではない、人間のためのVIPスポーツですね。