赤城の山も今宵限り、か…
いや、別に意味は無い。今日はじめて覚えた日本語だ。
意味は分からん。
こう、音の響きは、ノペッとした一直線。日本語らしい音だな。ウム。

ザバ、とお湯をすくって、顔に当てた。

見上げると、月。

多分、こんな月を見たときに言う言葉なのだろうかとも思う。

…違ったら間抜けなので声にはださんがな。

然し、異なものだな。
日本というところは、文化というものをないがしろにする風もあるクセに、
やけに観光客向けには日本風をふかしたがる。
そして、その生活様式は日本からこれっぽっちも離れてはいない。
なにがしたいのか、理解に悩む。
それを考えてみるのも面白いかも知れんな。
そもそも、儂は何かを考えていない、ボーっとした状態に自分の身を置くのが嫌いなのだ。
セルバンテスはそんな儂のことをせっかちだせっかちだと文句をたれるが、仕方が無い、儂の性分だ。
そのせっかちな儂が、このただっぴろい無意味とも思える広さの風呂に使って、空を見上げているというのだから。
…これまた、異なものだな。

自分の腕に、目を落としてみる。
戦うために鍛えられた腕。
少し動かしてみると、水の抵抗をまったく感じないほど軽く動いた。
指を握ってみる。
強く握ると、内の手首に筋が走る。
力を込めずとも浮き上がる筋肉、指一本動かしただけでそれが隆起を繰り返す。
人間の身体の不思議なる物について、少しばかり考えを馳せそうになるが。
無意味、だな。

恐らく考えてしまえば、宇宙規模の思考になる。
無駄だ。

「そんなコトは無いと思うがね」
「…いつからいた」
「ずっと前から。気づかないのは十傑集としてどうかと思うけど?」

…その言葉に、少々むっと来たが、的を得ていないことも無い。
日本式の風呂というのは、こうも、集中力を途切れさせるものなのか。
ならば、儂には必要ない。

声がした方を見ると、岩場にセルバンテスが座っていた。
「服も脱がんと、風呂か?」
「私は入らない。」
「…ほう」
「今日は月が透き通っているからね。私は、こういう日は肌を見せないことにしているんだ。」

透き通っている?
月が?
空を、見上げてみる。
まるで空に開いた穴のような丸い月。
あそこから、突然何かが降ってきたりしても、おかしく無いほどの、穴。
透き通っている?

「わからないなら、無理に考える必要は無い。私の気分の問題だからね」
「何処が、透き通っているというのだ、お前の表現は抽象的過ぎる」

身体を起こすと、水が逃げるように音を立てた。
…セルバンテスの、岩場から投げ出されている足に目が留まる。
コツン、
コツン。
こつん、
こつん

踵で、ずっとそれを叩き続けて。
それを何度か見送ってから、その顔を見るべく目線を上げた。

「えぐられるよ」
「なに?」
「あの月にえぐられてしまうよ。君の身体」
「…」

月明かりに逆光になり、その顔は見えない。
コツン。
コツン。
繰り返されるその音が耳障りだ。
コツン、コツン。
コツン
コン、
コォン、
コォォン、
空に響く
コォン
耳に響く

空が近づく

白く光る鼬が儂を振り返り笑う

「君の内臓は何色?」

口元に赤く光る舌

「内臓というのはね、本来は綺麗なピンク色なんだ」

コォン

「血がそれを穢す」

コォォン

「美しいのだよ、人間は外見よりも中身の方がねぇ…美しいのだよ、隔てなく」

コン

コツ

コツ

コツん


水音。


白い水の中に取り込まれる


水音


それを壊す優雅な足先


「!」


不意に、我に返った。


セルバンテスが、儂を見て苦笑いする。
「…セルバンテス?」
儂の目の前で、さもおかしそうに、目を開けたまま。苦笑いをする。
「面白いよ、君。アルベルト」
「…お前、服を着たまま…」
儂の目の前にいると言うことは、セルバンテスの脚はその湯に使っているわけで。
少し重たげな布が、水に揺らめいて浮いている。
「おとなしく私の話に耳を傾けている必要もなかろうに」
「…少し、のぼせただけだ」
「気持ちいいかい、お風呂。」

言われて。
少し冷えた肩にいまさら気がついて、
湯の中に、身体を浸して脚を伸ばした。

月か。

空を見上げる。

セルバンテスの影の向こうに、ひどく小さくなった月が馬鹿の様に口を開けている。
あんなものに食われてたまるか。
臆病者めが。
情けないやつめ。お前のようなヤツは。

…クフィーヤの裾を掴んだ。

「っーーーーーーーー!??!!?」

ザバーーーーーン

「な、何、っ、げほっ、すん、さぁ!!!!」
「風呂にいて風呂に入らずとはこれ如何に」
「う、うるさいな、私は嫌なんだ!」
「別に脱げと言ってはいないだろう」
「…」

濡れた身体を湯に浸して。
クフィーヤが揺らめくのが、どうだ、お前も見てみろ。
綺麗ではないか?

「死体が浮いてるみたいに見えるよ〜」
「お前は、本当にそういう感覚しか持ち合わせておらんのか」
「だから、綺麗なんじゃないか」

なるほどな。
と、納得しかけて、慌てて自分の中でさえぎった。

「貴様は死体愛好家か?」
「汚いものは嫌いだよ」
「汚い?」
「そう。抜け殻は美しくない。魂が、中身が、内臓が、血が、それが動いてこそ美しい、そう思わない?」

ふむ。

それでは、このお前の身体の中にも、そのお前が好むものが流れているというわけか。
儂のこの身体の中にも。
内臓がピンクだというのは本当なのだろうか。
気にして、見て見たことなど、なかった。
「見てみるかい?」
「え?」
「ほら」
と、口を開けて。
べ、と舌を出す。



た、確かに其処も内部だがなぁ!!!

濡れた指が頭を掴んで。
そのまま、その赤い器官が儂の口内に忍び込む。
この先に、お前の内臓器官がある。
食道から、胃、血管、心臓、肝臓はどんなに滑らかだろうか。

「…お前に毒されたようだ」
「毒したんだよン」

セルバンテスは、当たり前みたいに、服のまま湯に使って。
儂の身体を、手袋に包んだままの指で撫で回す。
岩陰に隠れたまま、儂の身体の上で、クフィーヤが踊る。
濡れて水を跳ね上げながら。
濡れた肉で儂を包み込みながら。

高らかな声を上げて、月に吼える。

溶ける、全て、この水の中に。
そうして、お前の言う、綺麗な内臓のみが見えたら、
…儂はそれを、どうするのだろうか。









「重いよぅ」
「…あたりまえだ」

濡れたクフィーヤをゴニョゴニョと手繰り寄せて、ぎゅー。
ばしゃばしゃぼたぼた。

「この布の中に、君の精子が絡まってたりすると思うと、なんかこう、自分が卵子になった気分になるね」

「…」

ばッ…

馬鹿かお前は。

しかし、言われて見れば確かにそうで。
事後、すぐに風呂をあがった儂の身体にも、と思うと、部屋に戻ってもう一度シャワーでも、という気になる。

ふ、と手を眺めてみて、其れが何かに照らされていたから、見上げた。

「月か」
「直視してはいけないよ、月を」
「何故だ?」
「…えぐられるからね」
「何故えぐられるのがいけない?」

クフィーヤを絞る手の力が一定で止まり。
其れを投げ捨てるように地面に叩きつけて。

「…」

儂を見たセルバンテスが。

眉をひそめて、笑った。

「見るかい」
「え?」


儂の目の前で、月の元。
濡れた布が絡まりながら、石畳に重い音を立てて落ちた。



「月の光が強い日は…私が透けてしまうんだ、私をえぐってしまうのだ。君には直視できるかい、この身体の中の汚いものが?」


照らし出す月


「内臓というのは綺麗なピンク色だ。そう、身体の中にあるものが内臓であればね」


目の光は無言で


「君になら見せても良い、私の中には死体が詰まってる」


戯言を


「言うな」
「冗談だと思う?」
「…」


冗談だとは思わん


「…そうくるとは思わなかったな」
「嘘をつけ」
「…さーね、どうだか」


…ち、…世話の焼ける!
お前のそういうところを見ると、どうも儂は。
ほっておけんというか、
とにかく、
儂の感覚的な奥底のものが其れを許さんのだ!


「…ならば見せてみろ、儂が良く見てやる」
「え?」

肩を掴んで、
腕を掴んで、
ぐい、


ばっっしゃーーーーーーーん!!!


「に゛ゃーーー!!!!」
「見せてみろといっておるのだ、ほれ、見せるといったのはお前だろうが」
「い、嫌だーバカー其処は違ううー!」

口に入る水を噴出しながら、風呂の底に手をついたのを見計らって、
足を持ち上げて。
「…」
「見、見んなバカーーー!!ひぃっ、ひら、くなー変態変態変態!」
「ま、それなりに」
「?」
「それなりに赤いぞ」
「バッカやろーーーーーーーー撃ち殺す絶対殺す明日殺す!死ね変態!はーなーせー」


暴れるセルバンテスを押さえつけて。
あまり戯れるからだ。
あまり自分を嫌うな。
死体だろうとなんだろうと、




儂は、かまわん。
言わせて貰えば、お前の中が死体なら、其れは内臓よりも酷く艶かしく輝いとるのだろうが!


ふん。


月になど、えぐられるものか。
お前をえぐるのは、儂のこの目で十分だ。





跳ね上がる飛沫の中、月がひれ伏し雲に隠れた。




当然だ。



………月が儂に勝てるものか。



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コメント
45000HITキリ番リクエスト小説で御座います。
おらくるさんに「温泉盟友」を、とのリクを戴きまして。
ギャグ小説ってのが書けないもんで、どうしてもこんな内容に…
申し訳ござらん。

ウチのセルバンテスは、どうも詩的ですね。
のクセに、人間だからもう、ひっちゃかめっちゃかというか(笑)
アルベルトは、セルバンテスの詩的な、
自分を否定する部分を平気で否定してくれるって感じでしょうか。
今回の否定の仕方は、まったく持って小学生ですが…
やってることは、単なるエロオヤジ…スミマセン…

セルバンテス=月
って言うイメージをちょっと戴いたことがあったので、
それに準じてみました。よいなぁ、月。