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スーツの前ボタンを締め、タイを首に巻きつける。
私は服を着る時に鏡の前に立たない。
タイの端と端を指に巻きつけ、一方にクルリと巻きつけて軽く根元を締めた。
少し、首をそらしてみる。
なんだか苦しい気がしたから、タイを軽く緩めた。
襟を正し、デスクの上のクフィーヤを手に取る。

この段階で、はじめて私は鏡に向かう。
スーツはどうだっていい。
けれども、このクフィーヤと、ゴーグルだけは、なぜかきちんと身に着けておきたい。

何故そうするのか、私には「暇つぶしの自己模索」の結果、ある程度の答えが出ている。

このクフィーヤと、このゴーグルが私がセルバンテスである証になるのだ。

ゴーグルをつけると、自然と背筋が伸びた。
心地良い圧迫感。
クフィーヤを深めにかぶり、それをイカルできちんと留める。

鏡を見ると、「セルバンテス」が立っていた。

そう、私がセルバンテスと言う人間に変貌する瞬間。

その変貌への必須条件が、ゴーグルとクフィーヤなんだ。

それは、近頃、自分で認識した。

自然と、唇を舐める動作が出る。

心臓が高鳴り、心が躍り始める。


退屈なんだよ。私はセルバンテスでなければ、非常に退屈なのだ。


軽い汗を感じて、違和感に首元を軽く掻く。

鏡を見て、さっき緩めてしまったタイをきちんと締め直した。
首をそらすと、矢張り少し苦しい。
然しながら、それは今度は心地よくてたまらない刺激に変わるんだ。


なぜなら、私はセルバンテス。


ただの一己の人間ではなく、「セルバンテス」と言う生き物へと、今。


今、私のスタンスが変貌する。










廊下に響く靴の音も。
目線も。
気持ちも。

ああ、コレが、本当の自分だ。


私は「セルバンテス」になるたびに、いつもそう思ってきた。
そうしてから、アルベルトの部屋に向かう。
私はアルベルトに、「セルバンテス」を見せたいのだ。




ノックもせずに、扉を開ける。
いつも、この時間には、アルベルトが丸テーブルの前で新聞を広げている。

でも、今日は、いつもの場所にアルベルトがいなかった。
少し、奇妙な違和感が湧く。

「…アルベルトー?」

私はセルバンテスの声で、彼を呼んでみた。
しかし、返答がない。
平気な顔をして、部屋の絨毯を靴で踏む。
BF団員にも、色々な階級があるが、アルベルトや私くらいの階級になると、
ある程度自分の生活に合わせた部屋を作り上げることを許されている。
なぜなら、各々の自由なスタイルの中にこそ、能力の起源があるからなんだ。
それは、BF科学班が、私たちの能力や、警察機構の輩の能力をいろいろと検証した結果から推察されたものであり、
いわば。
その個々の場所を与えられることによって、我々は、実験体にされているも同然ってわけ。

「アルベルト?」
「ここだ」

扉を閉め、声のするほうを見ると。
洗面台に向かって髪を梳かしているアルベルトがいた。

なんで、今日に限って珍しくそんなところにいるの。
調子狂うなぁもう。

「…気分だ。そもそも儂が何時も同じ行動を同じ時間に取っていたら、はと時計と同じではないか」
「っぷ」
「ん?」

そこで、なんで「はと時計」を引き合いに出すかな君はぁ。
そうそう、湧き上がってくる。
自分の中のセルバンテスであるセルバンテスが。

湧き上がってくる。

アルベルトと会話をする。それが、私がセルバンテスであることの証の中の、断片の一つ。
私は、時に、こうして一つ一つを手繰ってみることがある。
そして、自分が「セルバンテス」であることを確かめているのだろうと思う。
何故確かめたくなるのだろうね。

そこまでは、考えたことがなかったな。

髪を梳く音が聞こえて、目を向けると、細身の髪櫛を持ったアルベルトが、横櫛で側面を撫で付けているのが見えた。

「やってあげようか?」
「いらん。儂は自分でできる。」
「ねぇ、やってあげようかー?」
「…素直にやらせてくれといえばいいだろう」
「やだ」
「ああ?」
「やってくれ、って言って、その椅子に君が座って私に櫛を差し出してくれなきゃ嫌だな。」
「じゃあやらんでいい」

むぅ。
と、膨れて見せると、鏡越しにアルベルトが笑った。

「ックックック…面白いなお前は。」

綺麗な歯列を合わせて、アルベルトが笑う。
いつからだっけ。こんな風に笑ってもらえるようになったのは。
はじめて、仕事で組まされた時は。
めっちゃくっちゃそっけなかったよねぇ。

「話をそらすな。照れているなら照れているで、照れたといえばいい」
「う、うるさいなぁ、だって君ねェ、はじめて会った頃、私のこと相当ナメてたでしょが」
「うむ。」

アルベルトの手の動きが止まる。
そして、軽く口を閉じて、笑いを消した目を、鏡に映る私に向けた。
「…」
「…なに?」

目と目が合う。

心なしか優しい瞳が、私をじっと見据える。

「セルバンテス」

「…なんだいアルベルト」



「儂は椅子に移動する」

「了解」

す、と道をあけると、背筋をピンと伸ばして、手にした櫛を胸ポケットに入れる。
そして、振り返ると。

私の頬にキスをした。






目の前を通り過ぎていく、黒い影。
ボンヤリと目に映るのは、無骨な手と、胸ポケットに小さく銀色に光る細い櫛。



それが消えた後、私の目に映っているのは
扉の枠の一部と、のっぺりとした洗面台の白い横壁だけ







自分を取り直そうとして、唾を飲み込む。

…今の




「ア…」

「早くせんか。お前の言うとおりにコトは運んでいるはずだぞ?」


は、

運んでいるわけないじゃないか!!

だ、だって、予想外のことを君は、もう、君はもう当たり前の顔して平気で

「ん、んんっ」
喉がいがらっぽい感じがして、軽く咳払いをした。

ふいに、「セルバンテス」が自分の中に戻ってくる。

驚いた。

そうか、私はこういうことで驚くのだね。

…なんて、冷静に自分を見るフリなんかしてみたり。



そうそうそうそう。そ、そうだよ。このまま引き下がるようでは私、セルバンテスではない!



おもむろに洗面台を後にし、アルベルトの元に靴音高らかに歩み寄る。
どうってこと無い顔で腕組みして座っているアルベルト。
腕組みしてる。
うふふ。この人、腕組みしているよ。

「…その胸中、穏やかじゃないね?」

閉じていた目を横目に開いて、私を見る。

厚みのある肩に、両手の指をするりとかけて。

「…」

そのまま、後ろから。
肩をなでるように背中にもたれかかる。

「…セルバン…」

唇が動くのを、アルベルトの左耳に頬を寄せて制する。
ねぇ。
どんな気分?
ねぇ。
左手をゆっくりと胸ポケットへと移動して。
ほぅら。
櫛が、私の手に納まるよ。
抜き取る際に、軽く櫛を立てるようにして、その胸板に縦の刺激を送った。

緊張した喉が私の目前にある。
だから。

そこに、ゆっくりと舌を這わせた。

「…おい!」
「私は櫛を取っただけだよ〜」
「…余計な…」
「余計というのは、自分が予想しなかった事態が発生した時に使われる言葉ですね〜?アルベルト殿?」

君の耳元に私の嘲り。

左手に銀の櫛。

その手首を掴まれた感触に私が目を上げると

「うわっ!」

強い力で、その手が引かれた。

勢いがついてしまった私は、テーブルに背中をぶつけて、アルベルトの前に引きずり出されて

背中、痛ったーーーーーーーーーーい!

「な、なにすんのさ!」
「予測外だったか?」
「なに?それだけのために私の背中にアザを作るわけ君は!」
「セルバンテス」
「…」

名前を。
呼ばれる。と。

つい、君を見てしまうのは、私がセルバンテスであるから。

「櫛を置け、後ろのテーブルの上でいい。」
「…命令のつもり?」
「いや」
「ならいいけど」

手にした櫛を、後ろ手にテーブルの上に置く。
そして。

手を伸ばした君の手に私の手を絡めて。

「んふふ。君も好きだよね」
「火をつけたのはお前だ」
「あら、そうだったっけ?」
「戯言を…」

椅子に座った君の上に足を大きく開いて乗っかって。
おでこをペロンと舐めると、顔を掴まれて唇を唇で強く塞がれた。

君は、ゆっくりと私の証を外す。








傷つけないようにそっとゴーグルを落とし


……


私の戒めを解き


……


クフィーヤが床に崩れ落ちる


……


私は君の証である髪に指を通してそれを掴み


……ああ…


突き抜けるような刺激に、それをかき乱す…









君の上で跳ね上がる私の身体。
大きく開かれた奥が熱いよ、熱…
…もっと

「い、いい…っ!!」
「こうか?」
「あ、っ、は、ね、君、君はァ」
「…っなんだ」
「アル、ベ、ルト…っ」

滅茶苦茶になりながら、それでも君を締め上げた。
ほら、
死にそうでしょ。
ほら。
君はアルベルトだろう。
ほら。
私はセルバンテスだろう?
ああ!!!
もう、君が誰であろうと私がなんであろうとどうでもいい

この熱く流れ込む濁流だけが事実…!!!!!!!


「─────ッ……!!!」


あまりのことに君の頭を掻き抱き、その髪を唇で強く食んだ。


























ねーぇ。アルベルト。アタマー。クシャクシャだよ。


「お前がやったんだろう」


んー。まぁ、その原因はほら君だから、私がそう動くのが君の予定外であったかどうかは別にしてー、


「…しつこい!余計は余計だ!」

「へぇ。」

「余計なことをしたのは貴様だ、兎に角お前は儂の髪を直せ」

「…」

そうか。



予定外であっても、なぜか結果は同じで。
私は櫛を手にすると、君の後ろに立って、髪を梳き始める。

セルバンテスの衣装を着けたセルバンテスが。
気持ち良さそうに目を細める男の髪を手にして、丁寧にゆっくりと

ふふ、もう、どうでもいいね、そんなことは。

君がある限り「私」は退屈なんてしてられない。

なにがどうあっても、私は














そう、何が予定外であっても気付けば私は












そう。こうして、「私」であることをこの身一つで表すことが出来るのだ。


























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コメント

「自分」というものの定義。
それはそこかしこにあって、いちいち認識しなくても、勝手に「自分」の存在を明らかにしてくれている。

国際警察も、BF団も、コードネームですよね。
そして、そのコードネームを名乗る時は、組織の一員である証を身体に纏っているのと同じコト。

自分が自分の名前を名乗る時。

おそらく、人は、自分の存在を身に纏っているのだろうと思う。

「名前」というものは、そういうものじゃないかと、私は思う。