まさか、ここまでとは思わなかった。
何が、って、セルバンテスだ。

「へぇ、ほぅ?ふぅん、なにこれ、え?これ食べもンな訳?」

手に取った乾き物をしげしげと眺めて、
まずそー
と、一言。

儂が「買出しがあるから出かける」、と言ったら、よほど暇だったのだろう、
面倒くさがりのセルバンテスが買い物についてくるだなんて。な。
高級総合店の地下に降りた儂は、セルバンテスの嬌声にまず赤面する思いで。

挙句の果てには、なにこれ、なんだこりゃ、うっそー信じらんない、といつぞやの女子高生のように声を上げては儂に見せに来る。

「…セ、セルバンテス、少し落ち着かないか!」
「ん?ああ、そうだね、しかし…」

ちょい、と振り向いて、また何か発見したらしくそっちへ…
「ま、待て待て待て待たんか!」
「いいじゃァないか、初めて来たんだし、もう一寸世の中の現実に触れさせて欲しいね」
初めて?
初めて、と言ったか?
言葉に思考を奪われている隙に
「あっアレ」
「待たんかコラ!」
「…アルベルト、ウルサイよ、私が恥ずかしいじゃないか」

見渡すと、周りの客が儂を見ていた。
…セルバンテス…貴様のおかげで大恥だ。くそぅ。

まぁ、儂だって買い物に来るのは本当に久しぶりなんだがな。

「これは、何だい?」
「それはミカンの缶詰だな」
「ンじゃこれは?」
「それは、目薬」
「へー、ンじゃこれは?」
「…それは、…」

質問攻めでいい加減イヤに為ってきた頃。

生活用品売り場の前で、セルバンテスが立ち止まった。

…またか。

「これは知ってる」
「…」

もう、返事をするのも面倒…
ん?
知ってるのか。
何を、知ってるんだ?
と、その手元を覗き込む。

「これは知っているよ。口紅だろう?それで、これが頬紅、これはアイシャドウで、こっちは…マニキュアだね」

…それは一風変わったデザインのもので。
一見してそれが何かを理解しうるには、ちょっとした知識が必要なものに思えた。

「何故そんなものを知っている?」
「たまに使うから」
「…」

はぁ

はぁ?

「なにぃぃぃぃいっ?!!?!?!?」


持っていた大根を取り落として、拾って、かごに入れなおして、葉が欠けているのに気づいて落ちた葉を拾ってセルバンテスを指す!

「ちょっと、人を物で指すってのは失礼だなぁ。」
と、儂の持っている大根の葉をちょい、と自分のほうから退けて。
その所為で、わしは無意味な方向に向けて大根葉を突き出している妙な格好に。
…どこを向いていても妙な格好なのに気がついて、すぐに居住まいを正した。
ごほん!
とヒトツ、咳払いをして。
「アルベルト、どうしたの今日面白いよ?」
「う、うるさい、お前がだな…」
「今日に限らずだけど」
「…」

二の句が告げなくなって、一呼吸して自分を落ち着かせた。

ちら、と見ると、口紅らしきもの、頬紅らしきもの、あの丸いのがもしかしたらアイシャドウかもしれない、
「いや、シャドウはこっちのほう、君が見てるのは口紅」
「…」

だから、なんでそういうことを知っているのだ。

まさか、とは思うが、

じょ

じょ

じょそ…

「アルベルト、顔が赤いぞ?…また何か余計なことを考えたなぁ?」

にまにま、と笑って。
ぐりぐりぐり。
何故、いい年した男が、いい年をした男に頭を撫でられにゃならンのだ!!!
「さすれど、当たらずとも遠からずかな。君には理解できんかもしれんがね」

え?
じゃ、あ
じょ、

「いいよ、買い物が終わったら私の部屋に来ると良々」

口紅のサンプルを開けて、それを儂に見せながら、セルバンテスがそう言って笑った。






・・・





部屋に戻って、冷蔵庫に買ってきた物をしまいながら、セルバンテスの言葉に考えを馳せる。
私の部屋に来い、ってことはだ。
あの化粧品の類がセルバンテスの部屋のどこかにあるということだ。

儂は相当パニックしているらしいな。
冷凍庫にマヨネーズをしまおうとして、それに気がついて慌てて別の扉を開ける。
…ここは保温庫だな、マヨネーズが腐る。
落ち着け、落ち着くんだアルベルト。
セルバンテスの部屋に行けば、恐らく全てが分かる。
全てが分かってしまう。

…友の、我が朋友のやることなのだ、儂も少しは受け入れる覚悟を…



もしそれが間違ったことであるなら、勇気を出して間違っていると言おう。

うう

いえるか?それが友のれっきとした純粋なシュミであったらどうする。

いやいやしかし、だがしかし。

…んぬ?

これはまた不可思議な。冷蔵庫の中にビデオテープが。

…入れたのは、儂か。


頭を振って立ち上がり、水をいっぱい食らってから。

フン、とヒトツ鼻息を吐いて、部屋を出た。
セルバンテスの部屋の扉が、やけに重苦しく感じる。
ノブに手をかけて、ひねる。
ひねって、押さずに、止めた。
…どうする、今現在化粧品を使った状態でいたら。
儂に見せようとしてだな、そう言ったことをする可能性だってありうる。
そうか、そのせいか、儂の部屋に寄らずに自分の部屋で待っていると言ったのは!
…こ、これは
心してかからねば

「何してんの」

ゴン

「うがぁ」

「おやスマンね、其処にいることは分かってて開ければぶつかる事も分かってたんだけど開けてみたよ」

頭をさすりながら、いつもながらの物言いを見上げ…


「どうした?」
「…い、いや」

よかった。
まだ、何もしていないらしい。目の前にいたのは、いつもどうりのセルバンテスだ。

ふぅ、と、心の中でダクダクに流れた汗をぬぐう。


招かれるまま、部屋に入ろうとして、あたりに思わず注意を払う。

「なにしてんの、アルベルト。」
「…い、いや、不穏な空気がないかと」
「君の動きの方がよほど不穏だよ…」

どうやら、儂の思いすごしのようだな。
そうか、
なら、いいのだが…

「で、化粧品というのは?」

落ち着き払ったフリをして、本題を振る。

「ああ、ここにあるんだ、鏡台の引き出しに」

?!?!?!?!

「鏡台?!」

「身だしなみには気を使うほうでね、君だってそうだろう?アルベルト。」

「あ、ああ、そうかもしれんな」

始終、儂の反応を見ては笑っているセルバンテスに、もしかしたら、騙されて担がれているのでは、とそんな気になりかけたその時。

先ほど、店で見たようなケースがセルバンテスのその手に握られていることに気がついてしまった。

やはり。
やはり、儂を騙そうとしていたのではなく、本当に、本当にこの男はもしかしたら!!!

「そ、それは、セルバンテス、」
「ん?これは、口紅。」
「それは、セルバンテス」
「なに?」

力を振り絞ってー

「お前が使うのか?」

よし、よく言った儂!

「そうだよ」


ぬああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!??!?!


「っく、ッ、っはははははははははは!!!アルベルト、キミ面白すぎ!!!」

突然、笑い転げ始めたセルバンテスに、パニックの気を抜かれて、少々戸惑い。
「ど、どういうことだ?」
「確かにこれは私が使うよ。」
んぬぅううう
「やだなぁ、そんな顔をしないでくれないか。そもそも、私は今日だって使ってる」
は?
「キミは文化の違いってのは、認めるほうかい?」
「…当然だ、文化あってしかるべき国の成長」
「なら、理解してくれるかな。」

口紅を、薬指に少し取って。

自分の唇にすぅ、と走らせる。

それは、想像していたよりも唇になじんでいて、化粧品というよりは、

「…染料か」
「そ。理解できたようだね、偉いぞー」
「茶化すな、儂はまたてっきり…」
「てっきり、なに?」
「…」
「私に女装の趣味でもあるとか思って気を使っていたわけだ?っく、ふふふふ、面白い!面白すぎるよアルベルト〜」

う、うるさい。
儂は儂なりに、だな

「真面目に考えてくれてたんだね、アリガト。」

ちゅ。

「んぬぁ!?」
「あっははははは。キミの反応は本当に面白いなぁ…ねぇ、これ。これも化粧のヒトツだよ」
「え?」
自分のほほを指差して。
そこに在るのは、引っかき傷のようなタトゥー。
「ヘンナ、って知ってるかい?」
「変な?」
「ちがうよ、ヘンナ。ヘナとも言うね。木の粉末を溶いて、模様を描くタトゥーのようなものでね」
「その頬の模様が、ヘンナ、なのか」
「いや」



「私にとっては、これは消したくない物だからね。…ヘンナだと、すぐに消えてしまう。落書のようなものだから。」
「じゃぁ、それは…。」
「これは、タトゥー。前はヘンナで書いてたんだけど、ある日突然消したくなくなってね」

頬を撫でて。
満足そうに、儂の知らない過去を其処に秘めて、目を細める。
つ、と、指が滑って。
先ほどの紅のケースを開けると、さっきより多めに薬指でソレを救い上げた。
その指を、自分の首筋に向け、開いたもう片方の手で、クフィーヤの前止めを外し、スーツとシャツのボタンを外して。

「…セルバンテス?」
「こうしてね。」

首元から、腹の方にかけて、一筋の紅が走る。


「?」
「化粧には、いろんな意味がある」
「…ほぅ」
「戦いに赴くとき、重要な人に会うとき、結婚式、人が死んだとき、それぞれのまじないがある」

じゃぁ、
その、今の、紅は、誰の何を、どう願うものなんだ?

ふふ、と、セルバンテスが笑った。

「私は無宗教でね、信じるのは己のみ」
「ならば、何故まじないなど…」
「これは、私の芸術。伝えるべき手段、ソレをキミが受け止められるかどうかが鍵。」


粋な、ことを。

「なんの、まじないだ?」
「…なんだろうね」

近づいて。
その紅の走る肌に、指先を当てた。

その指を、絡め取られて口に含まれて。
生暖かく、濡れた柔らかい感触に、包まれる。

「私を理解できるかな?」

舌を出しながら、セルバンテスが笑う。

「出来んな。だから面白い」
「キミの指を借りても良いかな?」
「…儂の?」
「そう」

貸せと言われればいくらでも貸してはやるが。
一体、何の…

紅のケースを裏返して。
カチ、と音がして、からくり仕掛けになっていたのか、裏側にあったもう一つの小さな蓋が開いた。
「貸してごらん」

と、儂の薬指を捕らえて。

「…借りるよ?」
「構わん」

さっきよりも微かに黒ずんだ感じのする赤い紅。
その表面を、儂の指の腹で軽くなぞる。

指に色が含まされたのを目視すると、おもむろに

「…セルバンテス?」

はら、と。

服を脱ぎ捨てて。

「貸して」
「…」

どうする、ツモリ…

儂の指に手を添えて。
露わになった腿の内側へ誘導する。
儂はされるがまま…セルバンテスの動きを見ていた。

腿の内側に、鞭の痕のように線を走らせて。

「…っン……ふふ。これはね、当分消えないよ」
「…え?」
「だから、当分その指、赤いよ。っははははは」
「…こ、このままなのか、うぐぐぐ」

指先に赤い印。
セルバンテスの内腿に走る、赤い烙印と同じ印。

…なんの、まじないのツモリだか。

目に見えるものが欲しくなる。
そんな時が、誰にだって、ある。

「さーーーーーーーーて、服も脱いだことだし」

大きく伸びをしたセルバンテスが、陽気に、

「セックスでもしますかぁー?」

ガン。

今のは、ショックのあまり儂の脳が頭蓋骨にぶち当たった音だ。

「だってキミは、私に自分の印をつけたからね、私はキミのものだ」
「…元はと言えばだな、」
「シャッラプ。ご奉仕してあげよう。ドコから、何をして欲しい?」

裸体のセルバンテスが儂の身体に絡みつく。
唇の紅を舐めて。

当たり前のものが氾濫するこの世の中で。
当たり前でない自分を誇らしげに儂の前にさらす。


この男は儂を平気でゼウスにする。


当然の物を受け入れず、全て自分の枠内で、全てを自分の手の内に納めて。

その体の裏側に自分が入り込む、その瞬間が何故かヒドク心地良いのは、
その目に見初められたものの価値が、自分の中にあると。
そう、お前が言うから。
その価値観に惚れることの出来た自分の価値観が…、ひどく心地良いから。





紅が曲線を描く。





この、腕の中で更なる紅を帯びて。







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こめんと
セルバンテスは、他のキャラよりも独自の文化を色濃く持っていそうな気がしますー。
ウメリータさんのサイトで、TOP絵にセルバンテスがネイルケア専用の侍女に
指を預けてる絵があったんですが、それに触発されまして(^^;
すみません、勝手にネタにしまして…はひー。
イギリス人の紳士とかは、ネイルは当然ケア。
口紅くらいは当然のようにお使いになるそうで。