OP





ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け、
セルバンテスが満足そうにうなっている。
「ん〜、やっぱり、アールグレイだね!ミルクでもストレートでも!」
「うむ…儂には香りが強すぎるな」
「そうかい?君には合わない?んじゃ、珈琲でも頼んだら?それ私が飲むから」
「いーーや、儂が飲む」
「なんでー」
「儂が頼んだものだ、儂が飲んで何が悪い」
「だって君それ飲みたく無いんでしょー?何でそう強情なのさァ」
「儂の責任上儂が飲む!」
「紅茶は責任で飲むものじゃないの!あちょっとオネエサーン、トアルコトラジャ1つね」


ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け
ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け








・・・・・・
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・・・

・・





コォン。





・・

・・・

・・・・
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・・・・・・・・・・・・・
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不思議なものだな、と思った。
チャイナストリートを歩くセルバンテスの姿が、街並みに溶け込むのが、だ。
朱、藍、金に橙の様々な幟(のぼり)と目を刺激する屋根の色、黒い塀に白い塀。
いささかエキゾチックな街並みではあるが、居心地はそんなに悪くは無い。
なぜならば、人がまったくいないからだ。

「この街はね。時にゴーストタウンになるんだよ」

くるりとひらめいたクフィーヤと共に、儂の目の前にセルバンテスが舌を出す。
さっきまで随分と先を歩いていたように見えたはずなのに
まるで空間を捻じ曲げたように

じ、と儂の顔を見て。

「何も言わないの?」

に、と笑う。

「なんか喋ったほうがイイよ」

?目で疑問を投げかけて見せる。

子供みたいに首をかしげると、ふいに儂からはなれて遠くへ行く。

どこへ行く。
どこへ行くんだ、セルバンテス

遠くで、手の平を儂に向け、その指を軽く掴むように曲げ
口元が作り笑顔に大きく開くのが見えた。

「私を呼んでご覧アルベルトー」

…どこへ行く

「呼んでご覧」

「…」

「いいから」

「…何故呼ばねばならん」

「声出るんじゃない」

「…当然だ」

「ならなんで喋らないの?」

「…此処があまりに静か過ぎるからだ」

「静か過ぎると喋れないの?」

「…」

「私を呼んでごらんアルベルト」

「…」

「呼ばないと、誰も来ないよ」

「…なに?」

「呼ばないと、私もいないよ」
「なに?おい、セルバンテス、意味が分からんぞ」
「やっと呼んだね」

満足げに笑って、また儂の目の前に顔を突き出して舌を出す。

止まっていた街が動き出し
気がつくと周りは人の群れだらけ
人いきれにむせ返りながら、セルバンテスの姿を探す。

「セルバンテス?」

「なに?」

呼ぶと、必ず彼は儂の目の前にいるのだった。

「人が沢山いるぞ」

「当たり前さ、此処はチャイナタウン、繁華街だもの」

「当たり前か」

「当たり前さ。」

ごった返す人の群れの流れに、なだれ込むように儂たちは『向こう』に向かって歩き始めた。

儂の目の前を歩くセルバンテスは、儂のために道を作る。
人ごみの隙間をすり抜け、そこがセルバンテスと儂の道になるようにと

すり抜けすり抜け。何度もそれを繰返していると、気がつけば人はまばら。

「人が減ったな…?」

「ここはあまり必要とされない場所だからね」

「必要とされない?」

「そう、みんな気がつかない場所。気がついた人だけ此処に来るのさ」

「そうか」

「うん」

「そうなのか」

「そうなのよ」

「なぜだ?」

「ここが私たちの場所になるから、かな」

風がぴうと吹いて

店先にはためく幟が目に付いた。

はたはたと風に揺れるその布には、緑地に紅い文字で

【入り口】

とだけ書いてあった。

気になって、中を覗き込もうとすると、
何かが邪魔して前に進めない。

なんだ?
こう、後ろに引っ張られるような…

っておい
セルバンテス。

「何をしている」

「そっち行っちゃ駄目なの」

「だからといって裾を引くこともあるまい!」

「なんで」

「なんでって、それは…」

「答えられないでしょ、ならいいじゃない裾引いたって」

「いや、答える」

「じゃあ答えて」

「…うーーーーーーーーーー」

「はやくぅ」

「ーーーむ」

風がぴううと吹いて

道の反対側の黒い幟がはためいた

「あっちいこ」

「何故だ」

「なんとなく」

「『なんとなく』とはなんだ」

「『なんとなく』とは『なんとなく』だよ」

「なんとなくで物を決めるのか」

「うん」

「…」

呆れて、裾を引かれる手を払いのけ、
満足げに差し伸べる手に手を乗せた。

そのまま、その黒い幟が立つ店の前へと進む。

「此処は何の店だ?」

「入り口の店さ」

「『入り口の店』?」

「そう。入り口の店。」

「どこへの入り口だ?」

「さぁ」

「何でそう簡単にお前は自分の勘で物事を決めようとするのだ」

「何でそう簡単に君は自分の勘を信じようとするの?」

「なぜだろうか」

「なぜだろうね」

黒い幟を見ると、

やはり【入り口】と書いてあるのだった。

その幟に白い手袋が触れる。

「…」

彼を見ると

辺りを見回し、幟に隠れ、そしてまた出て来ては、また辺りを見回し

儂に向かって、唇に指を当てて見せる。

しー、と、静寂を儂に促すと、また幟の向こうに隠れ、
顔を出し、きょろきょろと見回し…
こいこい、と、儂に手招きをする。

「なんだ?」

「しー」

「何で『しー』なんだ?」

セルバンテスの動きを真似して唇に指を当てて見せると、
彼が笑った。
笑って、慌てて口を押さえて
辺りを見回して

こいこい、と儂に手招きをする。
から、
幟の向こう側まで…して、情けなくも儂まで隠れるはめになる。

この歳になって、いや、歳は関係ない、この儂がかくれんぼの様な無様な真似を…
と考えるだけで、頭が痛くなりそうになる、が…

仕方なく幟の後ろに入ると

セルバンテスは儂の頬に手をかけて引き眉間にキスをした。

「…おい、これだけのためか?」

「いや、これはなんとなく『ついで』」

ついでにキスをするヤツがあるか。あるか。ここに。うむ…
…そして、また、儂の目の前で彼は通りに顔を出し
…きょろきょろと辺りを見回す。

「何をしている?」

「決めているんだ」

「なにをだ?」

「店。店を決めているのさ。私たちにはね。選ぶ権利がある。
 私たちにはね。歩く権利もあるし、声を出して話す権利もある。
 私たちは好きなように二人でいる権利もあり、そして、別々に生きる権利もある。
 だから店を選ぶ権利もある。
 私たちは何処かの店に入って、おいしいアールグレイの紅茶を楽しむ権利がある。
 アールグレイを飲むには、店に入らなきゃならない、けど、
 おいしいアールグレイはどこにでもあるとは限らない、そうだろう?」

「アールグレイか。」

「うん。私はね。君は?」

「儂は…」

「君は?」

「…儂は」

「君は?」

「儂は、…」

幟から離れ

その幟を見上げる。

道をくまなく見渡し

セルバンテスを見る。

幟をちょいと掴んでひらひらとさせて見せるセルバンテスに、

思わず笑いが出…

「いい、儂も今日はアールグレイを飲むとしよう」

「おいしいアールグレイだね?」

「そうだ。おいしいアールグレイだ」

「じゃあ、店を決めよう!」

「よかろう。」

「ここでいいね?」

「この【入り口】だな?」

「うん。」

「…」

幟に触れ
…幟の向こう側に行くとセルバンテスが儂をまっすぐに見ていた。
いいだろう。
いいだろう。

「お前のその目に賭けてやろう。」

「…じゃあ」

「この店でいい」

「… merci」

「礼には及ばん。なぜなら。なぜならばだ。なぜならば、儂が決めたのだからな」

「なぜならば?」

「儂が決めたからだ」


【入り口】と書かれた幟を引っこ抜いて。
セルバンテスが、それをへし折る。

「これで誰も入ってこられない」

「まったくだな」

「だね」

「よし」

「じゃあ」

「ゆこうではないか」

「いざいかん、おいしいアールグレイへ向けて」

「そしていざ始めん」

「いざ。」「始めん。」

向かい合い。
確かめ合うようにうなずくと。

幟の柄の部分で壁を叩き崩した。

いざ。
いざいかん。
いざ。
いざいかん。

…アールグレイを飲む場面へ向けていざ

あの場所へ向けて今

我等が足で、踏み出そう。






 アールグレイはホールリーフが好きだなぁ

  ホールリーフ?

 うん。別名オレンジペコー。

  オレンジペコーというと…

 紅茶の名前のことじゃないよ。等級の事さ。紅茶にもレベルがある。

  レベルオレンジペコーか。

 うん。そう。

  それが此の先にあるのか?

 わからない。けれど必ずあることは間違いない。だって、此の先には…

  此の先には?

 アールグレイのオレンジペコーがおいしい、そしてラヴェルが静かに流れる、そういう喫茶店があるはずだからさ

  必ずか

 必ずさ。絶対に。だから私たちは此処へ行く

  …そうだな

 そうさ。君もまたそれを選んだ。だから私は君を伴って此処へ行く







此処へ行く






そこへ行く





そして




此処に。姿を現すんだ。





甲高い音を立てて。





姿を現すんだ。







・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・

・・・

・・








コォン







・・

・・・

・・・・
・・・・・・
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ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け、
セルバンテスが満足そうにうなっている。
「ん〜、やっぱり、アールグレイだね!ミルクでもストレートでも!」
「うむ…儂には香りが強すぎるな」
「そうかい?君には合わない?んじゃ、珈琲でも頼んだら?それ私が飲むから」
「いーーや、儂が飲む」
「なんでー」
「儂が頼んだものだ、儂が飲んで何が悪い」
「だって君それ飲みたく無いんでしょー?何でそう強情なのさァ」
「儂の責任上儂が飲む!」
「紅茶は責任で飲むものじゃないの!あちょっとオネエサーン、トアルコトラジャ1つね」


ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け
ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け


トアルコトラジャ珈琲1つですね、畏まりました


「こら、勝手に頼むな!」
「だって君トアルコ好きでしょ?」
「ん、まぁな……」
「だよね」
「じゃない!」
「なにさー」
「ああっ儂の紅茶を勝手にもって行くな!」
「なんでー」
「あーもう貴様と言うヤツは!もういい、それはくれてやる!さあ飲め!今飲め!」
「ちょっとぉ、ああん、君ってば何時もせっかち〜」
「やめんかー!」
「いやぁーん無理やり飲ませないでぇ」
「貴様〜〜っ」


ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け
ラヴェルのボレロが静かに鳴り響く喫茶店で、白いカップを傾け
上へ下への大騒ぎ。



喫茶店の表に風にはためく幟には
【ファーストフラッシュ・アールグレイ入荷しました】
と書かれた黒い幟が一つ

人気の途絶えたチャイナタウンの片隅で。

小さな喫茶店が開店したというだけのお話

小さな小さな喫茶店が、開店しただけという。それだけの。お話。












そして またどこかで 甲高く コォン、とひとつ、またひとつ…