「ねぇねぇねぇ、一寸コレ見てよ、おッかしぃんだからァ」

新聞を広げていた儂の背中に声がぶつかって落ちる。
頭上に気配を感じて、ひょいと見上げると、本をかざした腕があった。
ずぼ。
「…何をする」
「見えやすいようにと思って。」

丁度儂の頭を抱え込むようにして、後ろから腕を回した其の手の先。
目の前にあるのは、何処かの国の遺跡の写真。
本の装丁からすると、少し大きすぎる風のある写真は、何所だかは判らないが異国の風合いで。

「これがどうした?」

後頭部に声を掛けると、頭を横に押しのけて、クフィーヤの衣擦れが耳元に当たる。
儂の肩に顎を乗せて。
…なんで、こうコイツは直ぐに引っ付きたがるのだろうか。
別に興味は無いが。

「コレね、世界遺産なんだってさ。」
「ほぅ。それでどうした。儂は新聞を読んでいるんだぞ」
「新聞は世界情勢、本は歴史の集大成。私なら本を選ぶね」
「…」

屁理屈が。

「それで?」
「だから、世界遺産なんだって。この遺跡。」
「…?」

それの、何所が面白いと言うのだか。

「だって、見てよ。世界遺産の中にゴミ箱がある」


そういわれて、初めて気が付いた。
当たり前のようなものだから、見過ごしていた。
いまや、世界遺産、文明を残すもの、そういった場所は観光地として定着し、
それを理由としてか、土産物屋、手洗い、ゴミ箱、自動販売機などが当たり前のように並んでいる。

…当たり前だと思っていた自分に,驚いた。

それを当たり前だと思っていないセルバンテスに、驚いた。

セルバンテスは会社を経営している。だから、世界情勢や社会状況などの情報にも長けているはずだ。
それが、平気で歴史の本など開いて。
何でもそうだ。質問すれば殆どの事に関して答えが返ってくる。

焦りを、感じていた。

自分を自分で評価するのは甚だしい。だが、儂は他の奴等とは違う。
そう、自分で思っていた。思っていたかった。
のに。
この男は、其の存在だけで、儂を笑顔で踏み潰した。

プレッシャー。

知識では勝てないと思ったのか、力で勝とうとしたこともある、覚えている。

練習のつもりの格闘技で、やらなくていい所までやりかけた自分が居たことを覚えている。
悔しかったのかもしれない。
自分の力を見せ付けてやりたかったのかもしれない。
「強いなあ、アルベルトは」
笑顔で言われた其の言葉が、耳について離れなかった。



「出て行け」
「…え?」
「…出て行ってくれ」



気分が悪い。
考え込みすぎた。
この考えが、心の奥に仕舞えるまで、近くに寄らないで欲しい。
自分が駄目な人間だなんて感じたくは無い。
駄目じゃないと言われようと、それを素直に聞けない自分がここにいる。

だから。

「離れろ」
「…イヤだ」
「離れろ」
「…」

ゆっくりと、儂の頭は解放されて。
クフィーヤの衣擦れは、耳元から遠ざかる。

一刻も早く、消えて欲しかった。

「ねぇ…」
「出て行け」

「…なんで」

…少しほおって置いてくれ。

「分からなければ…私は何も出来ない」
「しなくていい」

早く。

「出て行け!」

目線を叩きつけるように振り向いた。
セルバンテスの顔。
声を、詰まらせて。
冷たい箱の中に取り残されたような、そんな顔をして。

「…私が、邪魔?」
「…」
「…」

目線を落とした姿が、何故か、小さく見えた。

何故、ヤツを否定する?
何故、こんなにも悔しい?
何故勝ちたがる。
強さが欲しい。
能力が欲しい。
もっと、誰よりも、強く、ありたいのは、そう願うのは、何故なんだ!

儂の言葉に従い、出て行こうと背中を向けた身体に、
手をかけた。

「…アル?」

「…」

お前の、責任だ

言ってしまえたら、どれだけ楽か…!

何故、儂にこんなにプレッシャーを与える?!

儂は儂、そう生きてきたはずなのに。

「そう。全て…」
「アル…?」
全てお前の責任だ!!!

其のスタンスを崩さない真っ白なクフィーヤも邪魔だ。
其の目も邪魔だ。
言葉も邪魔だ。
すべて、塞いでしまえ。

「…!」

床に引きずり倒して、仰向けの口に強く手を押し当てた。
そのまま、肩に噛み付く。
「−−−−−ッ!!!!」
掌に、声の振動が伝わるから、もっと強く押し付けて。
口を軽く離した。
「…儂はお前が嫌いだ。」
「…」
大きく開いた眼が、儂を見ていた。

「…嫌いだ」

それが、閉じる。強く。

引き裂いてしまいたい、其の中に何があるのか、其れが若し汚い物であったら、少しは安心出来るのに。
儂を否定するな。
ああ、分かってる、儂の勝手だ。
勝手に、自分を否定された気分になって、勝手にプレッシャーを受けているんだ。
わかってる。
わかっている!

口の中に、血の味が広がって。

我に返った。

「…」

肩口が、赤く染まる。

口元をぬぐうと、手が赤く濡れていた。

どんどん、堕ちていく。
どうしたらいい。
どう、したら、いい?怖い。こんな事を感じている自分が恥ずかしい。然し…儂の中にあるのは、恐怖。
言い知れない恐怖。
自分の行き場が、見えない…

「わ、たし、も…」
「…」
え?
くぐもった声を確認しようとして、つい、手が離れた。
「私も、君が、嫌いだよ」
…!

目を開けて。
うっすらと笑う其の唇がつむぐ。

「君は強いから情けなくなる、自分が嫌いになる、だから君に知識を見せ付けることしか出来ない、だから私は君が嫌いだ。でも、……もっと、自分は嫌いだな」

…馬鹿だ。
お前は、大馬鹿だ。

肩に感じるのは、暖かい腕の感触。
抱きとめられて、その胸に顔をうずめた。


指が、髪を撫でる。
毛先をクルリと巻きつけて、其れがほどけた感触と共に、耳元へ爪先が掛かった。
「…っ」
輪郭を、軽くなぞられて、身体がゾクリとする。
「セルバンテス」
「…んー?」
「…嫌いだ」
「うん」


…相手の能力を認めるというのが、こんなにも難しいものだとはな。
「普通さ」
「そうだろうか」
「お互いを認めるなんて、そんなカッコイイこというヤツなんて信用できないね」

…ならば?

「私は君を信用してあげよう。」
「では儂は仕方なく」

まるで、口上冷戦だな。
雪が溶けても消えないこの緊張感。たまらんよ。
そうだな、お前に教えてもらうのも、悪くは無い。
張り合うべきは、己自身。
「では儂も素直に聞くとするか」
「へえ、珍しい。なんだい?」
「さっきの遺跡の名前は何だ?」
「知らない」




呆れた。
…だから、目が離せんのだ、この男は…。


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コメント
甘?
カッコいいだけ、苦手。
カッコ悪いだけ、苦手。
本気。大好き。
相手に引けを感じない人間は、相当強いですよね。
其れが魅力なはずなんですが…アルもセルも、プロなんだから本当はそうなのかな。
でも、引けを少しでも感じてしまうくらい、相手を見て。
本気で相手を欲しがるときに発生する気持ちは、やっぱり、嫉妬と、畏怖の念。
怖いから、自分より凄いから、取り込みたくなる。
そういう関係のギリギリ感が好きです。