がやがやと群れ成す声が耳障りな喫茶店。
セルバンテスは此処の紅茶が美味しいんだとか何とかいいながら、儂を引っ張ってきた。
オープンではないものの、内からも外からも丸見えの大判ガラスが、壁代わりに店を取り巻いている。
その所為だろう。春めいた日差しが突き刺すように眩しい。
動作に気をつけながら、辺りの人物をさっと把握する。
…どうやら、一般人ばかりのようだ。
「殺気が丸見えだよ。気をつけなさい」
「…」
答える代わりに、一つため息をついた。
自分の悪い癖だ。
コトン、という軽い音に目を落すと、丸く薄い白テーブルの上に
コレもまた薄く白いカップが二つ。
それを取り上げる白い手袋を眺めながら、儂もまた、それを手に取る。
「ん〜♪」
上機嫌で香りを楽しむセルバンテスに、流されるようにその水面に鼻を近づけた。
うむ。

香りがするな。

「タマンナイね〜!やっぱ紅茶はアールグレイ、ミルクでもストレートでも!」
「…お前は本当に好きだな」
「まぁね…ふふ」

嬉しそうに幸せそうにそれを口に運ぶのをみていると、見ているこっちまで気持ちがつられてしまいそうだな。
…だからといって、儂がこの茶を好きだという理由にはならない。
儂は特に紅茶が好きなほうではない。飲めないほうでもない。
…自分は何が好きか?
…コーヒーは嫌いではない。然しこれもまた好きでもない。
音楽は?ああ、気に入っているものはある。
然し好きかと聞かれたら、また分からん。
そもそも、好きと言うのは、どう言った事なのだ?
…根底に行き着いてしまった。
恐らく、これを考えたらキリがないのだろう。

セルバンテスに質問してみようか。

何故これが好きなのかを。

うす赤く揺らぐ透明なカップの底を見詰めながら考える。

セルバンテスに目線を移すと、じっと儂を見ていた。

「また、何か考えてるね?」
「…儂にも脳があるということだ」
「あらら、こりゃまた」
「なんだ?」
「いやいや」
「言え」
「…素直じゃないねぇ」
「…」
「やっぱ言わなきゃ良かったね」
「…いや、そうでもない」

素直か。
思ったことを口にするには、どうしたらいいのだろうか。
ふと心の内に沸いた感情を、言葉に変換することは、そう簡単なものなのだろうか。
言葉などで、そう簡単に現せるものなのだろうか。
しかし、伝えるために言葉は開発された。
…それを使いこなすことは…そう簡単なのだろうか。
ずっと生きてきて、もう何年になるだろう。長い間、言葉を駆使してきた筈なのに
それはいまだに使いこなせない。

「ん〜♪」

…みると、気持ち良さそうに飲み下した紅茶の感触を楽しんでいるセルバンテスがいた。
セルバンテスは何も言葉を発していないのに、それが気持ちよく、幸せに相当する物である事が分かる。

ふむ。

儂があんなふうになることは今までにあっただろうか。
あったとすれば、それが儂の好きなものである可能性が高い。

ああいう風に、ん〜♪と…なるか?
なるか?なったか?んんんん?儂が?
あんな馬鹿な事をしたか?

「…いま、なんか失礼なこと考えなかった?」
「い、いや?」
「…そーう?へぇ。」

それだけ言うと、カップが空いてしまったのか、ポットに指を掛ける。
クルクルとそのポットを回してから、カップの上のほうから、こぼれるかと思うくらい勢いよく茶を注いだ。

実際、少々飛び散っている様が見える。

「…こうするとね、香りが出るんだよ。ワインと一緒でね…空気を含ませると香りが出る。
 香りというのは、空気に混じってくるから嗅覚まで届く。なら、空気に混じらせてやれば香りが出る、ってことね」
「ふむ」
「伝わったようで嬉しいよ」

まぁな。お前は言葉を使うのが上手い。
そして、いつも儂が何も言わないのに儂の思考を読んだかのように言葉を紡いで来る。
何故そんなコトが可能なのだ。
不思議でならん。

紅茶を口に含むと、少しきついくらいの香りがした。
嫌いではないが、
侵食されていくような気分になる。

眉をしかめて、カップを置いた。

しかし、旨い事には変わりはない。目を閉じたまま嗅覚と味覚に身をゆだねる。

セルバンテスは儂を見ているだろうか。
旨いと認識した儂を見て、少しは満足しただろうか。
満足した風をわざわざヤツに見せている儂は、何故そんなコトをしているのだろうか。
…ああ
これが、言葉の代わりか。

…そうか。

もしかしたら、セルバンテスがあんな顔をして見せるのも…
言葉の代わりなのかもしれない。
…おそらく、セルバンテスはこのことに気付いていないだろう。
儂の方が先に気づいたのだ。
軽い優越感を感じて、その顔を見てやろうと目を開けた。

が然し。

セルバンテスは、あさっての方向を向いているではないか。

…下唇の付け根に力がこもるのを実感しつつ、その目線の先を確認した。

一般人の群れがくだらない会話を楽しんでいる。
そのひときわ向こうに、小説を開いて一人で茶を飲んでいる女が居た。
テーブルの上にポットがあるところを見ると、紅茶なのだろう。
それは、群れの中で一人、我関せずと言った風で。

あれを見ているのだろうか。

もう一度、セルバンテスの目線を確認する。

あの女に間違いなさそうだ。
というより、他に目を引きそうな人間が見当たらない。

「あ、なんか食べる?」
「いや、いい、儂はいい。お前は好きにしろ」

儂の言葉に生返事をしつつ、今度は儂に焦点をあわせずに、儂の背後を見ている。
後ろか?
何があるのだ。
儂の後ろに、何があるのだ。
目の前に居る人間を無視して、然し無視した人間に話しかけつつ、然しその目は遠くを見ている。

これは、儂に向けられた言葉の代わりなのだろうか。
セルバンテスの目線が動いた。
ふ、と儂に目を向けて、ちょっと笑って見せるが、やがてその目線はさっき追っていた対象物らしき物に戻されて行く。
「?」
セルバンテスの目線を追う動きをして見せた。
説明しろ、と、言葉の代わりのつもりで。
だがそれに気付かなかったのか、無視したのか、その目線はそのままで。
一旦小説女に視線が動く。
すぐにまた戻して、何かを追う。

振り向きたい衝動を抑えて、カップを置いた。
日差しに、揺れる紅茶の水面が一瞬輝いて目に突き刺さる。




人間観察はコイツの趣味だ。
それは分かっている。
然し、それを儂が共に座しているときに何故。




無礼なのは、今に越したことじゃない。




…そうだ。




「…儂はあまり紅茶が好きではない」




そうだ。




「え?そうなの?」








「たった今そうなった」
「なんで?」



やっと、こっちを向きおった。



「気分が悪いからだ」
「…?」



不快だろう。
自分が好むものを嫌いと言われたお前は今不快だろう。





「当分飲みたいとも思わんな。」
「………」
「まぁ、そういうこともある、仕方あるまい、なぁ?」






その困惑した顔に、


儂は凝固した笑いを突きつけた。



















何故、笑ったのだろう。







何故…

















妙におとなしいセルバンテスの、両手首に、ゆるくハンカチを巻きつけた。
引っ張れば解けてしまう位の緩さで。

自室のベッドのシーツに身体を押し付けて、
儂のその行動を何をするでもなく、目で追っている。
ベッドサイドのパネルに触れると、喫茶店のような窓ガラスが白い壁に変わる。
…そう。外は今、必要ない。
「…。」
凛とした苦渋の滲む瞳が、棘のように儂を射た。
どう見たって知らん。
お前は理解できないのだろう。
儂はいつも理解できないのだ。
たまには

…悩むがいい。

そう思うと、ひとりでに笑みが沸いてきた。
何故笑っているのだろう。
優越感か?
加虐の悦に浸っているのか?
儂の中の動物がゆっくりと頭をもたげている。


じ、と自分の括られた手首を見ていたセルバンテスの口元が、
溶けるように歪んだ。

この男
…何故笑っている……?


「…君はいつも…分からないね」


…なにを勝手なことを。
いつも知った風に儂をえぐってくるのは誰なのだ。
分かっていない訳が無いだろう。

嘘吐きめ

嘘吐きめ

嘘吐きめ!!!

掻き抱こうとして、それを無理に押しとどめると、
その衝動はシャツを引く行動へと変化した。
ボタンが弾け、頬に無駄な攻撃を仕掛けてくる。

「…ア、アルベルト?」
「…っ」

そんな目で儂を見るな。
見るな…
…っ
押し込めたのに。
逆流、しそうだ
ずっと
ずっと、
ずっと重ねてきた…、ああ!

逆流の波が、今儂を押し流す…!!!!

何だ、この熱さは───!!!?

牙を剥く
然し噛み付けずに戸惑う獣は
情けない音を出してその胸に額を押し付けた。

「アル…?」
「…、っ…」
「………──いいよ…、噛み付いて…」
「!」

なにを

「私にそれを頂戴…」
「…う」
「お願い。」
「…」

重い頭を持ち上げて。
首元まで、やっとのことで口を近づけた。

「…噛んで。そのまま」

ダメダ

「……いいから」

許すな

「…う」

ダメダ…

「…殺せ」
「…がぁぁぁあッ!!!!」

唇を伝って落ちる落ちる落ちていく
どうしてなんだなぜ何故流れているのだ
なぜお前は





……分かるのだ!!!!





拘束は解けて落ち、背を強く抱く腕が、異常なまでに力強い。

ああ
ああ。これでは…



離れられんでは無いか…!



なにが欲しいのだろう。なにを見たいのだろう。
なにを求められたいのだろう。
どこに行きたいのだろう。
どこへ行くのだろう。
どこに




「…アルベルト…」

ああ、儂の名を呼ぶ

「…アル…気 持ち い、いよ…ッ」

そう、この声はセルバンテス

「…でもちょっと痛いな…」




馬鹿者

馬鹿者。

「…バカが…」
「うん、私バカだ」
「戯れるな」

背中をゆっくりと撫でる感触に、目を、閉じた。

「ねぇ?もっと、気持ちよくなろ?」
「…しかし、お前…」
「だって、私、痛いんだよねェ、今、だからさ、それを忘れさせなさい。ね」
「…す」
「謝らない」

ぱん、と軽い音を立てて、頬が挟み込まれる。
その手の平は、いつものように冷たい。
…なのに、暖かかった。

「君の痛いのは私が忘れさせてあげるから。ね、これでどっこいでしょ?」
「…どっこいとか言うな」
「えー?だってそれしか思い浮かばなかったんだよ」
「そうだな、どっこい、あー、どっこい…うむ、五分五分とか」
「ああ!そうそう、五分五分」
「うむ。」
「五分五分で行こう!」

…ちょっと考えると、五分五分という言い回しもどうかと思ったが。
…ふざけおって。
…紛らわされてしまいそうになるではないか…

口づける。唇に、胸に、その身体に。
熱を帯びて儂の身体を撫で回す、煽る指先。
硬く質量を増した其処になだらかに触れる指先に、…いいだろう。
ためらわずに声を漏らしてやる。

だから



「…は…」

お前も『言葉の代わり』を
その身体全体で儂に見せてくれ。

言葉でなくていい。

見せてくれ。




「…これ以上?」
「そうだ」
「…んふふ、君は我侭だねぇ…私にそんな恥ずかしいこと、平気でさせようってンだから」
「駄目か?」
「…私の我侭を聞いてくれるなら」
「善処しよう」
「…あ…」




──肌の触れる感触と、濡れた声
熱く湿った肉を突き破る熱い猛りと
懸命にそれを追うだけの時間──



求め合う。

何度果てても、形を変えて何度も。
何度も、

…ただ。無心に…












          うす赤く揺れる水面。














そうだな…アールグレイもまた…嫌いではない。












そうだな…










そう…










───FIN