ポツンとお堂。
新しく立てなおしたばかりの家、家、家の群れ。
アシハナが先に入っていった家の玄関先、隣家の裏手にポツンとお堂。

開け放したままの玄関に、風が飛びこんで扉が閉じた。

音に驚いて振り返る。

街道のざわめき、ここは神社の参道際に建つ住宅街。
一体なんの為の神社なのか、なんて事は私にわかるはずがないだろう。
そもそも、興味がないからな。
赤い鳥居、家と家の間にある参道に立ち並ぶ鳥居、鳥居、鳥居。
赤の道。

奥へ奥へと手招きするのは神心(カミゴコロ)なのか
人心(ヒトゴコロ)なのか

そう言えば、日本と言う国は何かを祭る場所が多く点在している様で。
その一つ一つになんの意味があるのか。
そもそもそれを知って賽銭を投げこむのか。
頼み事、願い事、政(マツリゴト)
知って願うのか。
知って頼むのか。
知って祝うのか。

一体なんの為に立てられているのか、意味を失い掛けた神社は、
ぽっかりと浮いた僻地(へきち)の様にも見えた。
仕方がないことなのだろうか。
アシハナは、知っているのだろうか。
私は知らなくて良いのだろうか。
あれが、なんなのかを。

小石を踏む音に気づいて足元を見ると、自分の音だったことに気づいた。
白と黒の砂利がばら撒いてあり、
恐らく「そこは特別な場所である」事の主張。玉砂利の土地。



私は日本に逃げてきた。
恐らく、逃げてきたと言う言葉が一番合うんじゃないかと、思う。
どこに行く気もない。
そんな私を見かねたのか、アシハナはココへと私を誘った。
アシハナの自宅まがいの場所は日本のあちこちに点在している。
まるで、神社の様だな、などとも思わないか?
家主のいない住宅など、意味を失い掛けているじゃぁないか。
ほら、似ている。
神社と、
アシハナの住まい。

私に住まいはない。
どこに暮らしていようが、なにをしていようが、すべき事は決まっているから…。
私に与えられた仕事をこなすだけ。
それで人生が進んで行く、恐らくは止まっているも同然だろうがね。
家が欲しいかって?…いや、そう思ったことはないな。
…ホームレス、そう言う生き方を選んだ人間がいる。
場所がある事が怖いんだ。
帰って来る場所があることが。怖いんだ。
そこには責任が待っているからな。

「?」

玄関先の横手にあるお堂。
その話がしたかったんだ。
知っているなら教えてくれ。なんと読むんだこれは。

…『伏見』

…『豊受』

…『稲荷』

赤い旗に書かれた文字がゆらめいている。
なにを、奉ってあるのだろう。
なにを、奉る必要があるのだろう?
何故、奉るのだろう。
何故、頼るのだろう。
宗教に似た…同一なのかどうか私には判断がつきかねた…そのお堂。
中を覗くと、白い狐の置き物が4頭。
意味があるのか?
誰にとって?
私にとっては?
意味があるなら、手を合わせれば何かが起きるのだろうか。
すがると言う行為は、崇拝と言うものは、もしかしたら…
本当は感謝することなのではないだろうか、と。

自分は無意味な存在だからな。

誰だってそうだろ?違うのか?

自分に意味があると誰が言いきれる。

意味が欲しくてのた打ち回っているくせに。

それは、私だろう?

「…フシミ」

…そう。

「…トヨウケ」

…知っている。

「…イナリ」

…何故ココにいる?


狭いお堂の暗がりに、
ひしめき合う狐の群れが
我先にとお神酒を奪い合う
それは人間に似て


…己は何故ココにいる。主は何故ココにおる

「なに?」
扉の開く音。
アシハナが、玄関先にすらりと立つ。

…答えは?

「私が知っているわけがないだろう。君が連れてきたからココにいると言えば答えになるのか?」

…連れてきた

「そうだろう?」

…何故?

「アシハナ?」

アシハナは、立ったまま、動かない。
私を鋭い目で睨みつけ、
私がまるで何か悪い事をしたかのように。
見ているだけなのに。
アシハナが怒っているのが分かった。
圧迫感。
強く押し上げられるような吐き気。

「…アシハナ…」

…フシミをなんと心得る

「フシミ…フシミ、とは、コレか?」

…トヨウケが何故ココにおる?

「私はなにも…」
「…車が横に通れるか!」


そう、トヨウケは、糸くりの名人を育てる稲荷。
フシミは京都のお稲荷様。
屋根が欲しいか榊を食うか。
ああ、そうか。

屋根が欲しいのか。

一喝したアシハナは、そこでぽかんと立っていた。

「アシハナ」
「は?…あ?そんなところで何やってんですか」
「イナリ、だろうコレは」
「ああ、良く知ってますねぇ…そう、京都伏見のを請けさせて頂いたんで」
「フシミに怒られたぞ」

二人で覗きこんだお堂。
トヨウケが縮こまってお邪魔しているそのお堂。
かわいそうに、家が欲しいか。
そうだな。
そこには、自分がいる意味があるからな…

「ジョージさン、笑ってるんですかい?」
「…いや?」
「そうですか?笑った様に見えたんですがね…」

アシハナの手の上には、トヨウケが置かれていた。

お堂の家の中には、フシミが在宅、
トヨウケは…

「どうするんだ、そのトヨウケは」
「家に帰しまさァ…おキツネさんには縄張りってもんがあるんですよ。アタシと同じようにね」

アシハナがにこりと笑った。
風が吹いて、
扉がバタンと閉まった。
黒髪が風に流されている。
手の平の中のトヨウケに我が児の様に微笑み掛け。
見えない柳がゆれた。

「帰りましょうか」
「…ああ」

自分が奉られる意味を、フシミもトヨウケも知っている。
私は自分の意味をまだ知らない。
私は神でもイナリでもない。
だから、知らない。
崇拝されるものでもない。
だから
だから、意味は、知らない。
意味があることなんて、必要か?
私は頼まれたり願われたりするなんて、真っ平だからな。

私は神じゃない。


お堂を振り返ると

お神酒を飲み干したばかりのフシミが、舌なめずりをしていた。

それは幸せそうに。

目を細めて、赤い目を糸のように細めて。

意味があることに満足して。

私は意味がないことに満足して。

目を、細めた。



神じゃない私は存在の意味から逃げつづける。
それが決まってしまったら恐らく終わるから。
だから、屋根はどこにでもあるから。
神じゃない私は、誰かと話をする、同等にな。

屋根の下で、アシハナの入れた茶をすすった。
かすかな神酒の匂い。

「あした、トヨウケ行きましょ」
「…帰すのか」
「帰りたいそうですから」
「そうか」

熱い茶に香る緑の匂い。
トヨウケが、目を細めて笑っていた。