法に従わず従う必要のない位置の人間が、
一個人として行動するという事は、酷く堅苦しいことであるように思われたのは
ココが異国であるせいなのだろうか。

日本の風土は、あれもこれも、と格式ばっている。
その理由がどうしてなのかは、歴史を紐解けばおのずと見えてくるものなのだろう。
今、私の横を通りすぎていった女は、それを知ろうと思ったことがあったのだろうか。

何もかもに、理由があるのは当然のことで、
しかしそれに惑わされていては自分の目的が果たせないのも確率としては高いこと。
その確率を算出して、一番目的に近い道を進む。
まぁそうプログラムされているような物なのだから、
…っと、そもそも私自身のことを紐解く必要はなかったな。

自分自身を解体することほど、無意味な事はない。

それは一方から見れば非常に意味のあることであろうとも。

無意味である、として生きることが必要な位置もあると言うことを、誰かが知っているだろうか。

ああ、この私の論理自体がそもそも無意味ではあるかもしれないな。


私は、約束の日時よりもちょうど一日早く、この町に着いた。
無論、それはそうしようと思ってしたことだ。

飛行機から徒歩、電車に切り替え、
…目立つからといちいち煩いアシハナの助言に何故か従う気になって、髪は一つに縛っておいた…
…で、今、私はこの町にいる。
ココに来るのは何度目だろう。
アシハナは、私を自分の里に連れていこうとはあまりしない。
それにも理由があるのだろうし、そもそも私には関係のないことなのだろうから、ほぉって置く。

探ってみたところで、アシハナの故郷に踏み入れる意味は恐らくないのだろうから。
無駄な、ことなら、しなくてもイイ。
…そう、自分を解体する必要は微塵もない。
例えその中にその意味が少しでもあるとしても。

一晩を簡単なビジネスホテルで過ごした後、私は時間通りに約束の場所に来ていた。
ちなみに時間どおりと言うのは、約束の30分前だ。
…多少早いが、これは私のやり方だから…とやかく言われる筋合いはない。

空を見上げると(珍しいことだ)、遠いのか近いのか判断のつきにくい青が広がっていた。
太陽自体は私の真後ろにあるので、たいして目に入りはしない。
台風の過ぎ去った後の空と言うのは、どの国ででも似たようなものだ。
そう、言うなれば女のヒステリーのようなもので、
好きなだけ暴れて後は何もなかったかのようなすました顔で。
台風とは、通り雨と似たり。

「ジョージさン」

声に振り向くと、約束の主がいた。
いつも30分以上は平気で遅れてきて私の気分を害する筈なのに
今日はまた、約束の時間より早いとは、珍しいな。
ひょいひょい、と、軽い足取りで歩いてきたアシハナが、私を見て笑った。

「腹減りません?ああ、しろがね−Oは減らないンでしたっけねぇ」

そう言って、優しい風な様子を見せてそれでいて横目で私を睨む。
いつもより目が鋭い様に見えるが、これは台風のようなものなのだろうと、これまたほおって置く。

「…特に減ってはいないが、君が何か食べたいと言うのなら多少は付き合うが…」
「別にイイですよ。秋ですしね、ああ、栗なんかイイですねぇ、
 栗おこわに栗ご飯、栗まんじゅうとかね、
 初物は東を向いて笑いながら食べるって知ってやす?
 あぁ、アンタには歴史なんて関係無いんでしたっけ。」

よくも一気にこう口が回るものだな。

私が言葉の意味を解する前に、アシハナの言葉はどんどんと発せられていく。
要するに、食べ物の話をしていると言う事は。

「…アシハナ、なにか食べたいのなら…」
「別に」

私の弾き出した答えは間違っていたか。

「…そうか」

そう答えを返すと、無言で私から目をそらした。
アシハナのこの態度は、明らかに私を拒絶している。
と言うことは、それなりの理由があるというコトか。
いつも思う。
理由と言うのは、どうして明示されないものなのだろう。

「何処か、移動しないか」
「…好きになさったらイイでしょ」

恐らく考えてもわかるものではないのだろう。
そもそも、アシハナの理由は気まぐれが多すぎるんだ。
人間というのは、酷く曖昧な気持ちを裏づけにして一定の行動を取る。
その裏は想像のつきがたいものであるというのに。
その理由と言うのは、何故か一定の相手に予想されたいものであるらしく。
…要するに、
分かって欲しいのに分かってくれないなんて。
…分かって、欲しい事…か。

「ジョージさン」

声を掛けてきたので、ちょうどいいから様子を伺うことにした。

「どうしたんだ、アシハナ。様子が変だぞ」
「口きかないでくれません?」


まぁ、慣れているさ、こう言う態度は。
受け入れられることなど、殆ど、いや、今までになかったのだから。
拒絶され、奇異の目で見られる事が常であったから。
…アシハナにそう見られたところで。
…別段…気にはならない。
…私は、拒絶される理由を考えた事があったか?
……チッ…関係、あるものか。

「…随分と勝手なことを言う」

ふん、と鼻を鳴らして特に気にも止めていない様子を振舞う。
しかたがないだろう…
気にしていると言う私自身の気持ちに、私が気づいてはイケナイと思ったのだから。

「黙ンな」

それに返されたのは、酷く強い調子の言葉で。
思わず私は怒られた時のような気持ちになりかけた。
何故…
何故、拒絶する?
拒絶されるから、私は何ものにも近づこうとしなかった。
お互い、其れが一番だろうと思ったから。
君が拒絶しないから、拒絶しても理由が明確であったから、理解できたのに。
不明瞭な気持ちが私を跳ね飛ばして行く。
……
…別段、なんとも思わないさ。

「…羽佐間と、話したんですってね」

アシハナが私を見ずにそう言った。
私を見ない理由は何故だ?

「楽しかったですか。」

アシハナの声が酷く冷たく低かった。
その声の理由は何故だ?

「なんで話なんかしたんですか。」
「…」

アシハナの目が私を無表情に睨むのは、
その目が私を無感動にさせるのは、何故だ?

ナニモ感ジナイノハ、
ナニモ感ジタクナイカラ。
感ジタラソウ、傷ツイテシマウカラ。
そうだろう?

私の様子に、業を煮やしたのか、アシハナが踵をかえした。
背中を向けたまま、私に向かって言葉を吐き出す。

「いつもの部屋とって有ります」

歩き出す背中に、
ついていかなければ恐らく全てが終わる、と感じて。
…捨てられた犬は勝手に戻って来るらしいが。
それは恐らく単なる本能であって、寂しさではないのだろうと私は思う…。

なんだか、私が考え事ばかりしていて、
物事をいちいち明確に出来ずにいるのは、
恐らくこの国の風土に感化されたから。
格式ばっていてその実(じつ)、格式の裏に理由を隠すこの国の風土に。
恐らくそれに毒されたに違いない。
じゃなければ、息をするのにこんなに苦労したりなんか、しない筈だ。

アシハナに連れられて、いつもの旅館に足を踏み入れると、
旅館の人間が私に声を掛けてきた。

「あらあら、遠路はるばる…」
「何処へ行っても地球上に変わりはない、たいしたことじゃないさ。」
「あはは、面白い外人さんだねぇ」

この旅館の人間は、人当たりが柔らかい。
アシハナがココを選ぶ理由が多分其れなのだろうか、とも憶測してみた。
でも、本人に確かめてみる気にはならない。
そもそも、私は今、アシハナに話すことを禁じられてしまっている。
こんな約束、破ったってどうってことはない。
でもそれを破らずにいるのは、恐らく、
何を言ったイイのかわからないのを誤魔化せるだろうから甘えているだけのこと。

アシハナが、私に理由を見せないのを気にする私は
恐らく自分のせいではないかと多少は感じているようで。
でも其れもおこがましいような気もするが、
しかし、だからと言って私に罪がある可能性はあるわけだ。
…私が何をしたというのだ。
そう言いたくても言えないのは。
禁じられているから、其れとも。
言ったら君がもっと寂しい顔をしそうだったからなのか。

寂しいのは君だけだなんてそう思っているのならそもそもソレもおこがましいのに。

きし、とふんだ板の間の先に畳が見えた。
障子の模様に竜胆(リンドウ)の象り(かたどり)。
陽射しが揺らめいて、竜胆がゆらりと揺れ、君がうつむいた。
私は見ていることしか出来ない。

「なんか言いなせぇよ」

やっと振り向いた君の顔は逆光で表情も見えず。
私はそれに戸惑いを覚えた。
その、君の声が無表情であったから。
相手が無表情だと言うことが、これほどまでに息苦しいものだっただなんて。
そんなこと、
気づきもしなかった私は、
とにかくなにか言わなくてはイケナイと思った。
何か言わなければ、
潰されてしまいそうになるから。

私の顔も、君を押しつぶしてはいなかったか?

可能性が、薄らいで行く。
なんの、可能性も見出せないなら。
そう、ただ疑問に思っていることをすべてぶつけるしかない。
それを言うことが、不安を伴うものだとしても。
…私の疑問の中で、
一番アシハナに遠いモノを選択する必要がありそうだ。
それならば、波風がたたないかも、知れない。
…私も臆病になったものだ。

「…羽佐間と言うのは誰だ?」

…関係ない話をすれば、もしかしたらお互いのこの緊張は薄らぐかも。
そう思って、私が選択したのはこの『謎』。
その私の声に、アシハナの表情が突然はっきりと見えたのは、
部屋が明るくなったせいではない。

「は?ジョージさン?なに言って…」

…波風が立たないドコロか、今までの雰囲気がくつがえったように見えるのは何故だ?
私の判断は正しかったのか、
それとももしかしたら、逆に…

「羽佐間と言うのは誰だ、と聞いているんだ」

それでも私はいつも通りにしか言葉を発することが出来ずに。
自分の言葉が、相手にとってどう聞こえるかだなんてこと、はじめて、気になった。

「…は、羽佐間…は、えーと…アタシの舎弟で」
「そうか、その男?女か?」
「いいえ、男でさ」
「その男がどうかしたか?」
「…ん、い、いや、え…あー…で、電話で話をしたって、羽佐間から聞いたんですが…」

ああ、羽佐間と言うのは、
以前に私がアシハナに電話をした時に出た男の名前だったのか。
電話をしてみたら、アシハナ本人は出かけていて、私は用もないのですぐに切ろうと思ったのに。
異国人が物珍しいのか、相手の男は私を質問攻めにしていたっけな。
確か、その時に台風の話をしたような気が。
私は疑問に対して事実を述べていただけなのだが。
「?ああ、台風の男か」
「た、台風の男…」
しかし、何故その男の話をしただけで、アシハナがこうも変わる?
私の知らないところで、アシハナとその羽佐間と言う男が、情報を交換し合っているのを目の当たりにして。


蚊帳の外

いや、そもそも私はソコまで立ち入れるような位置には。
…アシハナの中で私はそんな位置には、いないさ。
いくらなんでも何もかもお互いのことを知りつくすだなんて、無理に決まっている。
多少胸が疼こうとも。
自分の知らない相手の部分を見せられた時に、
それを魅力と取れるか、
それとも、ただ遠く見える切っ掛けになるのか。

アシハナ。
君はいつも遠い。

そもそもその羽佐間とか言う男だって君の…

…。

「アシハナ」
「…はい」
「座れ」
「…」

私の言葉に、アシハナが大人しく正座した。
私もそれを見習って、正座する。
日本の風習なら、それにしたがってもイイ。
アシハナと面と向かうなら、それも必要かと…私は判断したからだ。
…いいや、もう、判断なんてどうでもイイ。
アシハナがそうしたから、そうしただけだ。
必要だ、なんてことも、思わなかった。
ただ、そうしたかったから。それでいい。

「身体も心も傷つかない」
「…え?」
「と君が思っているなら、間違いだ」

ならば、私も言いたいことを言おう。
君が本当のことを言わないのなら。
思ったことを口に出すのがどれだけ辛いことか、私も味わってみることにしよう。
君はいつも、
思ったことを口に出してばかりで、
理由は言わないでいる。
それの真似をする。

「…っ…」

アシハナ、そんな顔をするな。
悲しませたくて言ったわけじゃない。
君だってそうだろう。
誰かを辛くさせたくて、言葉を使う奴などいるものか。
皆、自分を言葉で護衛しているだけなんだ。
思いついたこと、言わせてもらおうじゃないか。
誤魔化しの為じゃなくて、
君のためにこの恋愛には不向きな脳で精一杯考えて、思いついたことを。
そう、理由を、探らせてくれ。
もしかしたら、もしかしたらだ。
私と同じように独りぼっちにされた気分でうつむいているのなら。
多分君は私よりも人間に近いから。
私よりも、もしかしたら辛いのだろうから。
もしそうなら、辛いと言ってはくれないか。
私は胸を張って、大丈夫、と言うから。
確信なんて、たいして無いのに…君の為にそれをすることが出来るだろうから。
何故って…
私がうつむいていた時に君は笑ってくれていたじゃぁないか。

しかし、アシハナはうつむくだけで。
私が立ち入れるような隙も見せてくれなくて。
…私じゃ役に立たない、だなんて思っているのだろう?
私は何も感じてなんかいない、と思っているんだろう?

つらくても、涙なんか、流してくれないんだよ、私のこの目は。

「何が食べたい?」
「へ?」

ただ思いついたことを言ったら、
アシハナに妙な顔をされた。
な、なにか言わなくては、と思ったから…
自分の眉根が寄ったまんまなのに気づいて、立ちあがって背を向けた。
アシハナに気を使ってもらう余裕なんて、
君に気遣われてしまうことが邪魔になってしまうだろうから。
…私が、何かをするべきなんだと。
だろう?
…私にだって、なにか出来るんじゃないかと。
そう思ってみたって、イイじゃないか。
…もう、いいか、アシハナ。
私は、軽い深呼吸をして、詰まっていた言葉を吐き出すことに決めた。
その言葉が意味不明の曖昧な言葉であろうとも、
君が私のこの口から聞きたい言葉が含まれている可能性を…万が一にも求めて。

「私はどう言ったらイイのかわからない、どうしたらイイのかもわからない」
「…」
「君が素直じゃないことも、意地が悪い事もよく知っている」
「…言いますね」
「そして、思ったよりも寂しがり屋だと言うことも理解しかけた」

そう、ちょっとだけ。

「…そ、そんな、そんなんじゃねぇですってば」
「だが理解しきることが出来ない。これは私の責任だ。だがどうしたらイイのかわからない。」

…言っている内に、自分が情けなくなってきた。
なんだ、
私は、
なんでこんなに無力感を感じるんだ。
なんでも出来るんだろう?私は。
完璧な筈じゃないか。
何も、出来ない?
何か、出来ることを、与えてはくれないか?

「だから、君が食べたいものが有るのだとすれば、それを作ってみようかと思う。
 この選択が正しいと思うなら、食べたいものを言ってくれ。間違っていると思うなら、私を殴れ」
…自分でも極論を言っているのではないかと思った。
でも思いついたことをすべて言った。
殴られるのを意識してか、私の身体は強張っている。
…痛みが怖いんじゃない。
否定されるのが、怖いんだ。
今までの言葉の中で、一番自分をえぐって探した言葉。
これを否定されたら、私は本当にもうどうしてイイのかわからない。

そう感じた瞬間に、
後頭部に平手打ちの軽い衝撃。
衝撃に軽いパニックを起こした頭と、鈍い重みを感じた目の奥。

「…間違いだったか…」

もう、自嘲するしか。

「ちがわねぇよ馬鹿野郎」


な、なんだと?

「…なら何故殴る」

ムッと来た。
いつも通りに私はムッと来た。
否定されたのに、寂しくならなかった理由は。
アシハナの「馬鹿野郎」の声が、かすかに笑いを含んでいたから。
な、なんで、そんな声を出す?
なにやら、私が馬鹿みたいじゃぁないか。
この私が真面目に考えていたところを、平手打ち一発&馬鹿野郎、は、ないだろう…
それに追い討ちを掛けるように。

「栗ご飯。」
「栗ご飯?」
「そうです!アタシに振舞ってくれるんでしょ?」

強い調子で、言い放つ様に、
しかし振り向いた私の目にうつった君は、口を尖らせて笑っていた。
拍子抜けして。

「…栗、ご飯…」

再度アシハナの言葉を繰り返す。

「栗ご飯とはなんだ?」

これもまた、素直な私の言葉。
いいんだ、疑問は解決する為にある。
極論だと?…もうそれで充分だ!極論でイイ。ヤケになったわけじゃぁないぞ。
イイんだ。
アシハナが…、笑うなら。
一つ棘が抜けたような君のその笑顔に、やっと気持ちが落ち着いて。
良かった、などと。
私にしては珍しく緩やかな気持ちになった。
何かを言おうとした君の唇がかすかに開いたから。
拒絶されるかもしれない、だなんて不安も浮かばなかったから。
その唇を、舐めた。
濡らした唇に、そのまま、軽く触れるようなキス。
自分でして置いて、自分でドキリとした。
髪に通した指を抜くと、その感触に君が目を細めて。

アシハナが欲していたものは。

「これが栗ご飯、と言うことでは、ないよな?」

いつもながらの私の顔のまま、そう、言うなれば真顔?
その顔のまま、そんなことを言ったら、冗談と受け取ってもらえなかったのか、呆れたような顔をされた。
自分たちの身体と身体の間に流れ始めたいつもと同じ空気に、
これでイイのかと思うほど安心する。
こんな気持ちを味あわせたのは、君がはじめてだよ。

このまま、安心しきることに対して、恐怖はあるがね…。

どうやら私が栗ご飯自体に関しての知識がないと言うことに気づいたらしくて、
アシハナは私の腕を掴んで旅館の外に引っ張って連れていった。
引っ張って行かれるこの行為が。
受け入れられている証拠の様で安心を逆なでする。

戸惑うことさえ、余裕がなくて出来なかった。

材料の買い出しに、料理の仕方。
目の前でそれを軽くこなして行くその指先に、
私は見惚れているだけで。
だって、こんなにも鮮やかに。
物を作ると言う行為をアシハナはやってのける。
それがひどく魅力的に見えた。
だから、私はいつもこの町にきてしまうのかもしれない。

アシハナの嫉妬心(本人にそう言ったら恐らく怒られる)が、
負担にならなかった自分に感謝する。
負担に感じなかった自分に感謝する。
そうして、これがこのままであって欲しいと。

願うのは…可能性としては悪いことなのだろうか?

アシハナが差し出した栗ご飯を口に含むと、栗がポコンと割れた。
なんだか、自分を割られて中身を曝け出されたような気がして、
ちょっと照れもあって、それを噛み砕いた。

願うのは…可能性としては…