「ジョージさン、髪が埃ッくせぇですぜ」

アシハナが顔をしかめてそう言った。
後ろに流した髪を指に引っ掛けて匂いをかいでみる。
…煙草の匂い。

「……埃というよりはヤニの匂いだろうコレは」
「いんや、埃の匂いですヨ、ホラずっと仕舞ってあった本とか人形とかァ、
 こういう匂いがしやすでしょ、ホラ」

私の髪の毛を掴んで顔に近づける。
無理に埃にむせるフリまでして。
……私をなんだと思っているんだこの男は。
………失礼な…。

「風呂とかあんまりはいらねぇんで良いんですかい、しろがね-Oとかってのは。」
「…確かに新陳代謝は余り無いほうだが、それは個人の…」
「アタシは日本人ですからねぇやっぱり風呂は毎日入るってのが基本でしょ。
 ああ、そうだ伴天連…ッと…えーっと、
 アメリカのほうの人は入らねぇって言いますが本当ですかい?」
「…シャワーが主流だか…」
「あー、やっぱりね、それじゃ疲れが取れませんでしょ、
 風呂ってのは一回入ってみると病み付きになるモンでしてね…」

アシハナが私のとなりで何やらずっと言葉を発している。
日本語は難しい。バスのコトを風呂だのお風呂?「お」をつけたりとったり、
温泉とか言うのと風呂の違いも良くはわからない。露天風呂?ロテン…
…私が考える必要の無いことだ、そうだ。知ってて何になる。
だから気にしないことにしよう。
そう言うことにして、一人で頷くと、アシハナがククッと笑った。

「やっぱ温泉ですかねぇ。アタシの地元のほうでは源泉が沸いてたんですぜ」

ゲンセン。
また新しい単語をつきつけられて、頭がこんがらがりそうになる。
だから、考えなくてもよいのだ、と自分に言い聞かせて。
あんまり埃臭いとうるさいので、スパにでも寄ろうかと思った。
私自身は埃よりもこの煙草の匂いのほうが気になるからだ。
……人の匂いに侵されると言うのは、余り気分の良い物ではない。
……アシハナの言う埃の匂いと言うのは、私自身からのものかもしれないな、と少しだけ考えて。
ありえない話?
イイヤ。
人間…動物でないなら、そうなる事もあるかもしれない。
縄張りを示す為の匂いは必要ない。

移動中の車をアシハナが止めて。
「ちょっと…」
「なんだ?」
「ここなら風呂も可能じゃねぇですかね」

窓越しに見上げると、

遠まわしに言うと「休憩時間に金額の設定のある」縦長のビルが建っていた。



落ちつかない。
無防備な身体になると言うのは、しろがねにとっては致命的であると私は思う。
シャワーの雨に身体を任せて、後ろ髪を手にとる。
まだ濡れていないソレ。もう一度匂いをかいでみる。
やはり、タバコの匂いしかしないように思う。
この中から、埃の匂いに気づいてみたい。
アシハナが気づいた、この髪についた埃の匂いに気がついてみたいから、何度も嗅いでみた。

閉めきったバスルームの扉の向こうで、かすかに聞こえた音は多分プルタブの音。
恐らく暇に飽かせてビールでも飲んでいるのだろう。
自分の身体を見下ろす。
作られた身体。
コレが私の唯一の…

イイヤ。

上から降り注ぐ雨に、髪をゆだねてみる。
乱れ打つ其れがもうちょっと強かったら…私の目は遠くを見ただろう。
強い力に叩きのめされて、
何かに支配される気分を味わってみたいと思ったことが
…以前あったように思う。
銀色に光る髪が濡れて和紙のように見えた。
指で梳いて。そのまま握って引き千切ってしまいたくなって。
その気持ちを髪を水に浸すコトで誤魔化した。
そう、このまま流れてしまえばイイ。
一瞬でもこの気持ちに起伏があれば、私は弱くなる。
だから、流れてしまえ。

髪を包んだ泡を流し去る。
水を受けて、雫が身体をなぞり足を伝い落ちていく。
洗い終わった髪をもう一度手にして、匂いを嗅いでみる。
まだ残る煙草の匂い。
消えたのかどうか分からない埃の匂い。
…もう、イイ。

「兄さン?」

振り向くと、怪訝そうなアシハナの顔。

「…なんの用だ?呼んだ覚えはないが」
「イエね、男にしちゃ、ちょいと長いかなと思ったんで、ね」
「……もう終わる」
「どうか、しやしたか?」

髪を握って見つめたままの私に、問いかける言葉。
聞かれたかったから、そうしていたのかもしれない。

「……」

しかし、なにを言いたかったのかは、わからない…
わからないんだよ…アシハナ。

「取れやした?匂い。こんなに長いと面倒でしょウ?」

そう言って私の手にした髪を躊躇なく触って。
それを不意に唇に近づけたようにも見えたから、目をそらした。

「人形もね…ほおって置くとカビたり腐ったりするんですよ」

アシハナが手にした「洗い」をする為のシャンプーに、
ああ、やはり取れていなかったのか、と認識し。
かすん、と音を立てたその容器からアシハナの皮を纏った指先に白い液体が弾き出される。
それを両手に塗りたくって。
私を上目使いに見る。

「なァにしてんですか、立ってたらアタシが届かないでしょ」

従う理由などないのに。
私は大人しくそこに座ることにした。
何の為にか異様に広い湯船を目の前にして、背中ごしにアシハナの呼吸が聞こえる。
髪に触れる指。
それを梳く様にアシハナの指が撫でる。
濡れるのを意識してか、裾をまくり上げ、白いシャツ一枚で。
一人で裸…の自分、に、少々照れが走ったから。

「日本人は風呂に服を着たままはいるのか?」
「あン?ああ、アンタも口うるさいですネェ…しょうがねぇですね、ちょっとお待ちを」

扉の向こうに出ていったアシハナを確認して。
触れられた髪を、自分の指に通してみる。
取れない匂い。
取れない色。
消えない現在。
消えた過去。

憧れられる人間になってみたかった。
それも過去の話。
今は、一体私はそれに準じているのか?

「そんなにしたらァ髪が痛んじまいますよ」

声に我に帰ると、知らずに掴んでいた髪を解く。
今はもう埃の積もった忘れ去られた人形。
一体、何をプライドに出来る?
髪に通された指も、単に私を探るだけに思えて。
そう、アシハナでさえ単なる通りすがりなのだから。
私のこれからの過去に残る筈もない。

「兄さン」
「…なんだ」
「洗いってのはね、身体を清めるッて言う意味があるんですよ日本ではね」

伏せていた目を開く。
別に何か感じたからじゃない、
ただそうしたくなったんだ。
ひとしきり泡に包まれて、アシハナが言うには私は今、清められていると言うコトか?
出来る筈がない。
出来る物なら、やってみればイイ。

「こうしてると人形の手入れでもしてるみてぇですよ…
 道具ってのは常に見張ってないと裏切りやすからね」
「おいおい、私は人形か道具と同等か?」
「どうでしょうねェ…人間自体そもそも道具とも言えやすからネ?」
「…?人間が道具?おかしなことを言う…」

強くクシャクシャと髪を弄るのではなく
本当にただ梳く様に…柔らかい指の動きに、おもわず目を閉じた。
撫でられると安心するのは動物の本能であり…
私は…それに準ずる生き物ではもう無い筈…
髪をゆっくりと撫でられ
一流の業師に手入れを施される二流の人形…

「アタシの人形はもうないんですよ。壊されちまいましてね」

アシハナの呟くような声が聞こえる。

「やたらと活きのイイ人形を見ちまいましてね。
 その繰り手からそれを奪ってしまいたくなるほどのイイ人形をね…
 やっぱり人形ってのは元が肝心です、でもどんな凄い人形だってね、
 手入れをしなけりゃただの木偶なんですよ…」
「だろうな。」
「兄さン、ヒトツ聞いてもイイですかい?」
「なんだ?」
「一体いつお覚悟なさったんで?」

一瞬で意味を解せずに、アシハナの表情を確認しようとすると、髪を掴まれてそれを阻まれた。
一体どんな顔でその言葉を言った?
笑っているのか?無表情?それとも悲しんでいるのか?
分からないから、理解しがたくて、言葉の端っこだけを掴んだまま放置される。
分からないから…
私と同じに。

「アタシが見えないでしょ。でしょうねぇ、どんなお気持ちですかィ?
 是非聞かせてもらいてぇモンですね」

無表情な冷たいアシハナの声。
スルリと髪を引かれて、なんだか繰られているような気分になる。

「アシハナ。ふざけが過ぎるのではないか?」
「そうですかね…あたしはやりたい様にやってる、そうですね、今までもこれからも。
 最終的に選んでいるのはアタシ自身でさ。
 …強制されたことなんかありませんや。ジョージさンアンタはどうなんです?」
「質問攻めだな。くだらないとは思わないのか」
「思いやせんね。言ってみりゃなんだって至極くだらない物でしょう。
 人間でさえ、そうとも言えやす」

グイ、後ろに引かれ、アシハナの素肌の腕が私の首を捕らえる。
人間で言う頚動脈にアシハナの腕が食い込む。
それに手をかけて。
さすがに声が出ないから、何も言わずに腕を外した。

「い、イタタタ!馬鹿力ですねぇちょっと…!」

外した腕を引っ張ると、滑る床に足を取られたのかバランスを崩し、
私の背に体重をかける。
それを更に引いて私の胸の前に引き寄せた。

「まだ…洗いの途中ですよ?」

そう言われて髪に手をやると、泡で濡れた私の髪。
その泡を掬って、アシハナの頬にぺたりとつけてやった。

「なんですかい?」
「特に意味はない」
「兄さンもよく遊びますよねェ…さ、流しちまいましょうや」

身体を立てなおしたアシハナの指が、一瞬私の腿に触れた。
アシハナが目を一瞬細め、笑みを零した様にも見えた。
出しっぱなしのシャワーに打たれた私の君の身体が火照っている内に…
君の髪の匂いを少し嗅いで。
その匂いが私の髪の匂いと一緒だと思うのは、私の勘違いか?

すべて洗い流した私の身体の上に君の身体を跨がせて。
眉をひそめて困った様に笑うのに羨望を感じ…
その腰に手をかけて強く引き下げた。
その吐き出したモノで私の腹部が白く染まり、またそれを雨が洗い流す。
「…あ…兄さン…も、ちょっと…浅く…してくんなぁ…」
その言葉に逆らう様に一度深くして。
その衝撃にふるりと震えた身体を持ち上げて、言うなりにもなるし我が侭にもなろう。
清め立ての身体をお互いの吐き出したモノで汚して。
背中に立てた爪でわざと私の身体に傷を刻んだね?
無駄だな。君がいくらあがいても、私に君の後は残らない。
君が覚えていようと恐らく私の中に君は残らない。
恐らく残るのは、埃の匂いだけ。



髪を乾かす為に窓をあけた。
スゥ、と髪を梳いて流れていく空気に、ふとこれが「風」と言う名前だったコトを思い出して。
ベッドでうつ伏せになって肘をついたアシハナの煙もそれに流されて消える。
少し軽く感じる髪に。
一瞬埃の匂いを感じて、呼ばれた気がして振り返ると、もうそこにはいなかった。
胸に空虚を感じて。いつも取り残されていく自分に気がつかないフリをしたまま。
埃の匂いがヤニに染まる。
気がつくとその主は私の横で私の髪に煙を吹き掛けていた。

「…何をしている?」
「え?アタシなんかしました?」
「コレだからヤニ臭くなるんだろう?アシハナ…お前が元凶なんじゃないか」
「そんなことしちゃぁいませんよ?」

そう言った直後に目の前が煙で掻き消える。
パタパタとそれを払うと、その向こうでニヤニヤ笑うアシハナの顔。
饐えたような埃の匂い。
ヤニの香り。
アシハナの縄張り。

「消えませんでしたねェ…匂い」

私の髪を手にとって鼻を近づけながら首をかしげる。

「懐かしい匂いですねェ…臭いなァとは思うんですがアタシは好きなんですよこの匂い。
 消えなくってちょっと良かったかな、なんても思っちまいますね」
「臭いと言ったのはお前だろうアシハナ…」

…だって、ねぇ?古き良き、ッて言う感じがしやすでしょ?

アシハナの中に黒賀と言う言葉を見出した気がした。
私を繰るのは一体誰なのか…

そもそも繰ることの出来るものと言うのは、存在するのか。

誰もが繰られて生かされて。

すべての元凶をこのヤニの匂いと決めつけて、アシハナに恨みでも持ってみようか。


風がピウと吹いて
一瞬にしてすべてが煽られ
すべてがめくれて見えたのは
ほんの…一瞬であったけれども
全てに糸がついていて
その先端を君が握っていた様にも見え
その糸を奪い取ろうと空中に手を伸ばした

「駄目、ですよ、兄さン」

目を上げると月。

「皆ァ、見られちまってますから」

バタバタとめくれるカーテンに閉ざされそしてまた現れる月。

「糸の先は、どっちなんでしょうねェ…」

全てに糸がついていて。
その先端は其処だと思いこんだ私に一閃
部屋の全ての埃が巻き上げられ
糸に纏わりついてきらきらと煌く

アシハナが空中に手を伸ばして
糸の埃を拭い取った
それを私に差し出すから
口に含んで君に戻した。


操り人形コトコトと歩き舞台に弾頭を置いて退場し観客は逃げ惑い爆発にまきあがる埃が笑いを求めそれは当たり前のコトだったと気づくまで数世紀その内に私達が滅び無い様に何度も仕掛けて撒き散らすそれは欲望などではなく単なる人恋しさ


埃まみれの操り人形

くだんに揺られて娼婦の町へ

人を売り我を売り

くだんに揺られて売られてなんぼ

埃まみれの操り人形

その埃を払ってもらおうと

探した手の平空の上

空に映った自らに

自分の手の平娼婦に預け

それに気づくまで........