火種

 

マッチが湿気ッて、点きゃぁしねェ。

ジッ、と音を立てて箱の上を滑るだけで。

微々たる火花が見えて、そのまぁんま…


「兄貴」
運転席から羽佐間の声。
アタシになんか用ですか。
「本当に、行っちまうんで…?」
「そうですねェ…」
もう、繰りに魅力を感じなくなりましてね。
繰りがなければアタシじゃねェ。繰りあっての阿紫花英良。
そいつは重々承知してまさ。
ただねェ…

プン、と小さな虫の羽音。
ガラス窓に叩きつけてやったら、すべてぶちまけてお潰れに。
ハハハ。そう簡単に行くなら、アタシも潰れて…
いんや、そうは思ってねぇクセに。気持ちは無理にそう思いこもうとするから不思議でさぁね。
本気で、死にたいヤツが死にたいなんて、公言しますかね?
自分をヒロインに仕立て上げて。
それで自己満足なんて、アタシには出来ませんや。
黒賀であり、人形繰りであるアタシのプライドが、それを許しませんやねェ。
そのプライドが重荷になる事は今まで1度もなくて、そう、コレから先もない。
そう、アタシは決めてるんです。


お別れですよ、羽佐間ァ。


「ただねェ…そのまァんま自分を見失っちまってですよ?
 屍同然になるのは歓迎できませんからね…まァ、あたしのワガママでさ…」



だからちょいと

旅へ、ね



ジッ。
かすれた音。
濡れてもいない筈なのに、点かないマッチ。
先端を覗きこんで、黒く焼けているのを確認する。
それを指に押し当てて。

「あ、兄貴!?」
「別に、熱くねぇですよ。」

はらはらした羽佐間の表情、アタシにもその表情、させてくれませんか。

諦めずに、何度も、何度も。

箱に擦れた棒が炎になる日まで。

「ライターなら…」
「それには及ばねぇよ、アタシも持ってますから、ねェ」

そろそろ、作り笑いってヤツを止めてもイイですかい?
ライターをコートの右ポケットから取り出して。
煙草を咥えて火をつける。
カチリ。
灯が、高く昇って。
身を焦がしそうな?胸踊るような?本能に返る?
そんな、火なんか、ちゃちなライターでは見られやしませんよ。
煙を吐き出して、箱と棒をぶつける。

「兄貴…?」
「気にしねぇで前見て運転してくんな」
「……お、俺も…ですね…」
「煙草かい?アタシの吸えたっけ?羽佐間」
自分の持つキツイ銘柄を提示して見せたら、
羽佐間が苦笑いして首を横に振った。
「そうでしょうね。煙草にも嗜好ってのがありやすからねェ」
「違いますよぉ兄貴〜〜。」

チリ、と火花を上げたマッチに気を取られて。
羽佐間の顔をみなかった。
だから、その声も聞こえなかった。そうさ、そうですよ。

俺も…

取り出した煙草の先端に咥えた煙草の先端を合わせて。
ジジ、と吸い上げると燃えた火種が移る。
熱は、移り行くもの?
消えちまうもんかと…

羽佐間の言葉を煙草で塞がせた。
移したアタシの火種を、吸うってのも乙でしょ?


マッチ棒を窓から投げ捨てて。
箱から次の人身御供。
お次は、アンタの番ですよ。
擦(す)りあげた新しいマッチ。
汚れ一つ無い、アタシの残骸を持たないマッチ棒。
それを箱の角でパチッと。

何度も。何度も。

「兄貴…どうして、俺じゃ…」
「黒賀を。頼みましたよ。」
「……」
「男の冒険心ってヤツでさァ…」

目を細めて唇を閉じて、ニッコリと笑って見せる。
眉根が寄っちゃってるのはご愛嬌。駄目ですかね?
マッチが点かねぇんですヨ。羽佐間…
これも駄目。
使えないマッチは早々に捨ててしまおう。
ヘンゼルとグレーテルの導きの為に。
その道を消すのは恐らく己自身。
何故なら、その目印は酷く冷めているから。

2本残ったマッチ箱。
煙草は当に燃え尽きて。
次の火種を欲しがる一本が、アタシのフトコロでおとなしーくしてまさァね。

ジッ。

「兄貴…」
「……タイクツに、なりそうですねェ…」
「そんなに、欲しいッすか?刺激が」
「……」
「平穏が一番だとは…」
「そう思えれば、違う人生歩んでたでしょうよ」

ライターでわざとマッチ棒に火をつける。
どうでしょう、この遊び。
如何でしょう、この怠惰。
熱くはないでしょう、人の熱なんて。

灯を無理に灯したマッチ棒を見て。
無意識にそれを口に運ぶ。

「兄貴!?」

舌の、焼ける鋭い痛み、と、不甲斐なく消える炎の種。
車が急停車して。

「兄貴、何ヤッてんですか!」
「べぇ」

口から出てきた黒焦げの物体。
たいして、熱くはなかったですよ。
妙に気持ちが乾いて。痛いだけで。
残ったのは自己主張する硫黄の匂い。

毒の、匂い。

最後の一本は箱ごと投げ捨てちまいましょう。
火種は、点かないから、無駄でしたかねェ。
アタシの、行為は。無駄ですかねェ。

「賭けをしやしょうか。羽佐間。」
「賭け、ですか?」
「アタシが逃げることが無意味かどうか。」
「逃げる、だなんて…」

本当のことでしょゥ?
真相はキチンと知らせてやりますから、是非賭けてくだせぇよ。
…戻っては、来ますから。
その約束を、アタシにください。
ネェ…?羽佐間…

「俺は無意味じゃねぇと思います」
「さて、どうかね…そんじゃアタシはその逆に賭けるコトにしやしょうかね」
「イカサマは、無し、ですぜ?」
「無論承知してまさ…」

空港に降り立ったアタシの姿を見ずに
車を走らせるコトを命じました。
約束をくれた羽佐間に、頭を下げたくなかったから。

さて、もう一本つけますかね。搭乗まで時間がある。

コートの中を探って何かに気づいて。
取りだしたるは一本の逃げそこない。
点火する、火種を起こす切っ掛けを失った棒が一つ。

それを握り締めて、手のひらで十分潤おしてから、
もう1度ポケットに戻して差し上げやしょうねェ。

火種が、まだ、残っていましたか。
搭乗のアナウンスが聞こえてきて、窓の外に目をやると旅客機の群れ。
たとえアレを自分の手で炎に包み込ませても、アタシの火種は火を吹きゃァしませんよ。


 逃げるのは何故?

別に

 本当は怖いんだろう?阿紫花。

断じて

 野垂れ死にか?

断じて

 誤魔化すか?

無理で

 捨てるか?

無理で

 なら…?

生き残る為に

 死にたがりが?

生き残る為に

 もうそろそろ諦めたら?

左様なら

 左様なら

左様なら

 それを掴むまで?

左様なら。



火種を掴んで。
もう一度煙草を吸うために。
この火種で吸うために。
逃げるんじゃない。
探しに、行くだけでさ…。
道中お気をつけて?気ィ、使ってもらっちまって。悪いネェ…



宝物を探して玩具のロボットを壊す子供

弁当に期待をかけて端から突付く男

電話を待つツモリで飛行機に乗り電源を自ら切る女

家以外に楽園を求めて旅立つ老夫婦

餌を求めて飛び立つ、子のいないツバメ

何を探しているのかそれさえもわからないアタシ



火種を抱えて、どこへ。


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