そう、三週間の間はなにも起こらなかった。

ただ一つウチの診療所に変化があったね。
看護婦が勝手に辞めてしまったらしくてね。
こなくなってしまったよ。
全く、最近の若いやつは根性がないね。
私にあるかどうかは知らないが少なくとも彼等には無いね。
実際心療内科と言うのは、酷な仕事だと思うよ。趣味じゃなければやってられないんじゃぁ無いかな。
私か?無論趣味に決まってるじゃないか。
人の苦しみを見てその理由を明確にする。
…実はね、カウンセリングと言うのは理由を明確にする必要はないんだよ。

だが、私は明確にする。

理由を明示された患者の反応が見たくてね。
患者?
=研究対象だと思うがね。
研究せねば何事も進歩はしないものだよ。

眠くて面倒な時はしないけどね。いーじゃん別に。

そうそう、看護婦だったね。
看護婦の名前は、「ソン」と言ってね、
…名前から推測するにアジア系の女性だと思うだろ。
当たり。


それでだね。その看護婦がいなくなってしまったんだね−。
駆け落ちでもしたか、借金でもつくって逃げたか、
いや、それはありえんな、債権者がココに顔を出さないし。
別にいいけどね。必要ないし。いると華やかなんだがなぁ。あ、こっちの話ね。
なかなかに真面目な女性で、頭も良かったね、気がつくし。
ちょっと冷静過ぎるのが難点だったかな。
私がいくらおちょくろうとしてもノって来ないんだよ。

電話?させたよ、オルゼ君にね。

「やっぱり出ません…家にもいないみたいですね」
「だろうね。いたら来てるだろうし。まぁ今月分の給料も要らないってのは景気のイイ事だな全く。」
「ですねー」
「だねー」

そうそう、忘れていたが、あの男。
自分を殺し屋だと名乗っていた男。
あいつも来ないよ。
仕事が忙しいのか、もう来る気がないのか。
私はもう一度来ると思ったんだがね、見当違いだったかなぁ。

時計を見ると、8時。
今日も昼食は忘れたよ。目の前にコロネが転がっているからね、これが証拠だね。

バン。

「あれ?」
「車の音だね。」
「ですね。」
「正確には車の扉のゴムが車体に当たって共鳴し、発せられた音だね。」
「…くどいですよ先生」

時間は8時。
なんとなく、予想はついていた。
私の思ったとおりだったね。あの男だよ恐らくはね。


待合室に出た私達は。


予想外のものを連れた男が入ってくるのを目の当たりにする。


「…本当はよ、先生」
「……随分な手土産だね」
「謝りに来たんだこの間。」
「だろうね。もう一度来るだろうとは思っていたがね、まさか、こう言うことだとは思わなかったよ。驚いたね」
「……」

オルゼ君は私の隣で口をパクパクさせている。
みっともないったらない。

「しっかりしたまえ、オルゼ君」
「…だって…!!!先生!!!」


腐食した肉の匂い。


「臭いよ。3週間前だね」
「ああ。気がついたら死んでた」


その男の腕に抱えられていたものは。


「彼女はウチの看護婦で、名前はソンと言う。」
「ああ、調べた」



黒髪が垂れ下がっていて、引っ張ったらいとも簡単に抜けそうだった。
胸の真ん中に突き立ったナイフが抜かれていないのは、理由があるだろうな。


「死姦したね」
「……」
「レイナ先生!なんでそんなに冷静なんですか!」


オルゼ君がその場にへたり込んだ。
それは無視して。
男を見る。


「先生、おどろかねぇんだな」
「…」
「驚けよ」
「驚いてるよ」


男が、ソンを取り落とした。
ゴトリ、と音がして、床にソレが転がる。


「治せるって言ったよな。治らなかったぜ。もう一人やっちまった」
「そうかい。どこで」
「公園で女子高性さ。よくあるシチュエーションだろ!?だがイイもんだったぜ」
「そうかい。」
「…せせせ、先生ーー!」
「ウルサイな、黙っていろオルゼ君。余計なことは言わないほうがイイ」


男は、ギシギシと音がしそうなほどゆっくりと身体を曲げて。
ソンの胸に刺さっていたナイフを抜き取った。
それをゆっくりと私に向ける。


「衝動かね?」
「ああ。」
「私よりオルゼ君を殺したまえよ。私に他殺願望は無いもんね」
「…だとよ」
「ひぎゃーーー!!」


腰を抜かしていたのか、オルゼ君は不恰好に床を這って行き、壁伝いに立ちあがった。
まあ、ほっておいても問題ないだろう。


「ナイフを差すとよ、気持ちよくなれるんだ。何でだ?」


男の目の焦点は既に合っていない。
恐らく、私の渡した安定剤を大量に服用したのだろう。
渡さなきゃよかったかね。うーん。


「ナイフは陰茎だよ。刺すと言う行為は、セックスの挿入に当たる」
「なるほどな。だから何度も刺したくなる」
「しかしソンには一度しか刺してないね。早漏かい?その治療なら他の医者へ行った方がイイよ」


この男。
間違っていたね。
殺し屋なんかじゃない。
似たようなものではあるだろうが、快楽殺人者だね。
人を殺すことによって、快楽を得るタイプの壊れた人間がいる。
この壊れると言う状態は、環境に作られるものだ。
この男の、環境が知りたいね、そう、出来れば幼児期からくらいの。


「はじめて殺したのは小鳥か猫、もしくは小型犬?」
「…ああ」
「面白くも何ともなかっただろう」
「ああ。」
「セックス中に首締めたりね。するね?」
「2人死んだ。」
「死ぬ寸前の痙攣がたまらないとか」
「…そうさ…!あんたよく分かってんじゃねぇか!ははははは、おもしれェ、あんたも好きか!」
「いや。別に。セックスが面倒でね、
 どちらかと言うと私はその行為自体に抵抗がある。
 これは私の過去の経験から私自身が潔癖症である事にも由来するんだよ。君も恐らく過去に引鉄があるね」


はははははははは、と。
男が甲高く笑った。
耳につくイヤな音だ。


「潔癖症か、先生は!」
「そだよ」
「触られると取り肌が立つか!?」
「立つね。でもエレベーターのボタンとか人が座った直後の椅子なんかにはあまり感じないな」
「そうか。直接触られたくないってか。」
「まーね」


男の袖口がばさりと音を立てた。
肩に強い衝撃を感じて、其の後すぐに背中と頭に鈍い痛み。
男の指が私の白衣に食いこんでいた。
背中に感じた痛みの主は、床に倒れた時の衝撃。
息が一瞬止まって、ソレが正常に戻るまでは何が起きたのかわからなかった。
なるほど、そう言うものなんだね。
ちくりと痛みを感じて見ると、
もう片方の手に握られたナイフの先が、私の心臓に当たる部分に点を置いている。


「…痛いじゃないか。」
「触ってやったぜ!鳥肌が立つか?」
「……」
「せ、せんせぇ…」


オルゼ君の情けない声。
あーあ、とりあえず役に立たないねェ。

「…離しなさい」
「いやだね」
「…もっと脳までつきぬけるような快楽を経験したくはないのかい」
「だから殺すのさ」


パニックのぎりぎり前の状態。そんな脳の圧迫感を感じながら、
私は男に笑いかけた。


「甘いね、やりかたが違う。」
「……?」
「もっとぞくぞくする最高の方法を教えてあげるよ」
「てめぇ…」


驚いたのか、感心したのか、それとも面食らったのか。
男の持つナイフの切っ先が、かすかに私の胸からそれかけた。


瞬間。


オルゼ君の足が私の目の前を横切り。
男が壁に頭部を強く打ち付けて昏倒した。


「大丈夫ですか先生!!」
「うん。氷とコロネもって来て」
「食べるんですか先生!」
「うん。」


オルゼ君は慌てて奥のほうへ駆けて行った。
男の身体を仰向けに寝かせて。
とりあえず、モルヒネで充分かね。
ヤク漬けにする?あはは、まさか。単なる麻酔だよ。
私の免許ではこんなもの持つの許されないけどね。
ソンの身体については、ユキノの事務所にでも送れば問題ないだろう。
ユキノ?まぁ、私の研究の出資者だね。
そして、提案者でもあり、
私はその研究対象の一人でもある。



レイナ、私も。ソンも、みんな、研究対象なんだよ。
誰かの脳が私達を見て研究している。

なーんて、ね。


「レイナ先生−!!」

血相を変えたオルゼ君の声。
バタバタと診療所の床を揺るがす彼の足音、頭に響くなぁ。

「なんだね」
「ミニモ君がコロネを〜〜」
「…太るからよせと言っておけ。」

立ちあがって、診察室へいくと。
私の机の上でミドリガメがコロネを貪り食っていた。
彼はミニモ君。仕事中はドラえもんよろしく引き出しの中で大人しくいていたはずだが。
いつのまにか私のコロネを奪われてしまっていたようだね。


「うーん。胃袋がセツナイ…」
「裏のラーメン屋行きますか?」
「…餃子残ってれば行くよ。なければ私はセツナサに酔いしれるだけだろうね。」

オルゼ君と共に診療所を出た。
男はそのままほおって置いた。
起きたら起きているだろうし、起きなければ寝てるだろうし。

書き置きは、彼の目の前に置いておいた。
起きたら気づくだろうね。
そして私を待っているだろうね。

内容?知りたいのかい?

別に対した内容じゃないよ。

「君は知らない。私は知っている。欲しいものはここにおのずと現れる」

そう、書いただけだよ。
近所のディスカウント八百屋の黄色い広告の裏にね。
紙なかったからねぇ。

ラーメン屋の「トンソク」には、まだ作り起きの餃子が残っていた。
肉が一つも入っていない野菜ばかりの餃子なんだが、美味い。
これもオルゼ君が見つけてきたもので、私のお気に入りだ。
私の胃袋はとりあえずセツナクならなくて済みそうだ。

彼?治らないだろうね、あの病気は。
治すという事は私の心理学では洗脳と同じだからね。
極論だがね。ははは。だが私はそう言う風に位置付けた。

自分の欲望の処理の方法が上手く見つからない?
一番有能なのは、自分の想像だなんてこといつか気づいたかね。
想像を超える適応力を持ったものなど、存在しないんだよ。
そもそも現実に適応すると言う事は、欲望を押さえる能力が必要になるね。
がまん、がまん。これから先も過去も現在も我慢の連続、
そうすれば世の中は喜んで受け入れてくれるだろうねェ。
それを優しさと取るか、苦痛と取るか、己次第、とか言ってね。
極論だろう?
極論を言ってるんだ。

……餃子食べながら考えることでは無いな。

「あち」
「気をつけてくださいよ先生ー」
「オルヘふん」
「なんれふか。」
「君大学のサークルどこの部在籍だったっけねぇ?」
「剣道でふ」


剣道に身体から垂直に蹴り出すような技が合ったかどうか私は知らないが、
彼はこういう風に役にも立つ。

そう、3年前に彼がはじめて医院に来た時も、そうだったかな。
その話は、またあとですることにしよう。
私はこれから医院に戻って楽しい会話だ。
…ゾクゾク、するねぇ。




〜〜〜〜〜〜〜カルテ・1 終了。