「なにをしているんだい?」

路傍で座りこむ小柄な影を見つけて、私は話し掛けた。

「……!」

その影が、ビクっとして振り向く。
夜の暗がりで顔はよく見えない、
街灯と言うのは上から照らすものであるから、こういう時に不便だね。
おもむろに立ち上がったその影は、
私が来た方向とは逆に、脱兎のように駆けて行ってしまった。

「…イタズラはいけないよん」

街灯の下を見ると、何本かのマッチ。
ふふーん。
近くに落ちていた小さな女の子の人形を拾い上げる。
家は近くだね。
おおかたお母さんに怒られるから、外でイタズラをしていたんだろうね。

私?
私は、ちょっと夜風に当たりに出てきただけだよ。
ホラ、すぐそこに私の診療所がある。
その裏手が私の自宅。広いよ。自分で言うのもなんだけど。

そう、一人で住むには、ちょっと、広いね。

診療所の鍵を開けて、中にはいる。
自宅に戻るには、ココから続きの廊下を歩いて入るしかないんだよね。
ちょっと不便だね。

りーん。

電話の音だね。
自宅と病院の電話は別にしてある。
なっているのは病院の電話。
ココは精神科、こんな時間に急患があるはずがない。
そもそもウチは急患は受けつけていない。
こんな時間に、非常識だねぇ。

受話器を取る。

「もしもーーーーーーーし」
「誰だ?」

…出た相手に、誰だ、はないよね。

「誰だったら君は満足なのかね」
「先生か」
「ああ、しーにゃん?」

電話の主はしーにゃんだった。
よく言えば友達、悪く言えば単なるストーカーだね。

「なんだい?イタズラ電話なら間に合ってるよ」
「……なんの為に外に出た?」
「別に、散歩」
「そうかい、ありがとよ。じゃぁな」

…ソレだけで電話は切れたよ。
しーにゃんもたまに分からない事をするね。
電話の線を引っこ抜いて、そのままその夜は眠ることにした。
なんだか、頭の中に虫がいるような気がしたから、外に出たんだけど、
それをしーにゃんに教える必要はないからね。
脳が、別のトコロへ飛びたがっているよ。
…今日は眠ることにしよう。
このまま起きていたら、どこかへ飛んでしまいそうだから。






…眠りは深いかい?

「……」

…見えるかい、自分の中身が

「……っ」

…燃えているよ、君の中が。あの男が内臓に放火したんだ。



そう、身体の中が熱い、
身体のそこから沸きあがるような熱い感覚が、頭の天辺まで突き抜けるような!


ガチャン!


力任せに、ベッドサイドに置いてあった花瓶を投げた。
壁にぶつかってそれがこなごなに砕ける。
花の生けていない、水の入った花瓶。
水が腕を濡らす。
ココは、ドコだ、私は、何を見た、何を感じた。今何を見ていて私は何をしたか。


そう、ココは私の家、そして私は花瓶を投げた、何かに駆り立てられて。
苛立っていた訳じゃない。
不安でもない。
ただ、違和感が、する。


息を整えて、気持も落ち着いた。
…まいったね。花瓶が壊れてしまったようだ。部屋を片付けるのはオルゼ君に頼もうかなぁ。
ストーカーのしーにゃんは、私がこんな事をしたのを見ていただろうか、聞いていただろうか。
思わず、窓に目をやった。
閉めきったままのカーテンが、じっと垂れ下がっている。

錠剤を口にほうりこんで、眠ることにしよう。
ベッドサイドの水槽で、ミニモ君が顔を出したから、邪魔をしないように、眠ることにしよう。










「せんせーい」

……

「せんせいー?起きてくださいってば」

うぬう。
頭が重い。
昨日飲んだ薬が効き過ぎたかな…睡眠薬はこういう副作用があるから使いたくないね。
目を開けると、ベッドのシーツの向こうにオルゼ君の顔。

「……」
「もう診療の時間になっちゃいますよぅ」
「……ん」
「どうしたんですか?風邪ですか?!」

ペチン。
オルゼ君が私の額に触れようとした。
その手を片手で弾いて。

「言っただろう、私に素手で触れるな」
「あ、す、すみません!」

ゆっくりと起きあがると、頭がぐらぐらしたが、この位なら水を飲めばやわらぐだろうね。
ああ、だるい、
寝ちゃおうかなぁ。

「駄目ですよぉ先生」


リィン


「あ」
「おや」


診療所の扉を誰かが開けたね。
さて、仕事だ…朝ご飯は…まぁ、イイか。
しかたがないね。出物腫れ物トコロ嫌わず、だね。
って言うと患者は出物か、腫れ物ってことだね。
まあたいして変わりはないか。


身支度を整えて、ミニモ君をポケットに入れて準備完了。

ネボケ眼で部屋を出て、廊下を渡り、
診察室に入ると、既に椅子に男が腰掛けて待っていた。
身長はソレほど高くはない。細身で、一時代前のヤクザのようなジャンバーを着ていた。

「どもども」
「…よ、よろしくおねがいします」

カルテを見ると、名前は田川幸司。30歳。
国保…無職だね。

「んで、どうしたの?」

そう言いながら男の顔を見ると、あれあれ、青ざめちゃってるよ。

「おいおい、大丈夫かい、気分が悪いならそっちのベッドに横になっていいよ?」
「え?…あ、…は、はい!いえ、大丈夫です」

大丈夫かね本当に。
ドモリがちなのは、多分これは元からだね、アガリ症とかそのせいだけじゃなさそうだね。
見た目も気弱そう、喋っても気弱そう、
仕事口が見つからないのは、性格のせいかもしれないね。
そしてその性格は環境が作ってきたもの、後は遺伝とか言う考えかたもあるけど、
私は遺伝的なものにはあまり興味がない。
心理学者ではあるが、遺伝子学については全然知らないから、
やはり知識は事実から、と言うのが私のモットーだからね。
遺伝子の事がもっと明らかになって、それが性格などにまで遺伝するのだと
はっきり分かったら、覚えさせてもらうことにしよう。
もう一度、男の顔を見る。
田川の顔はまだ青ざめたまま。
…ココに来た時からなのか、私を見てからなのか。
随分と怖がられたものだね。

「別にとって食ったりしやしないよ。人肉はまずいしね」
「は、はぁ?」
「ううん、こっちの話。で、なんかあった?」
「あ、はい」

私が促すと、田川は想像以上によく喋った。
胸がドキドキして眠れない、
やっと眠っても眠りが浅くて、
朝起きると、胸が苦しくなって身体がだるい。
どこの病院に行っていいか分からなかったと。
そうしたら、田川の母親がウチの病院まで連れてきてくれた、と。

「お母さんも一緒に来てるのかな?」
「は、はい、待合室にいます」
「そうか、いいお母さんだね」

なワケがない。
随分と甘やかした家庭だね。
この男、30だよ?ああ、呆れた。