双眼鏡を片手に持ち変えて、缶コーヒーをすすった。
俺が見ている相手はちょうど息抜きの最中らしく、
公園を散歩、で、近所のオヤジの犬をぽこぽこと殴っている。
相変わらず行動が読めない。
行動よりも、
それよりも。
その頭の中が何を考えているのかが、わからない。
頭蓋骨を綺麗に削いで、脳味噌を見たら一体どんな色をしているんだろう。
思わず、咽喉が鳴った。

俺の名前はシラ。偽名だ。本名?忘れたよそんな物。
いつからシラと名乗るようになったのか、もう覚えていない。そうだな、今より若い頃だよ。

今覗いている相手?レイナ先生さ。
変な男だよ。
初めて会ったのは患者として。
その後、診察…だったのかどうかわからない会話を経て、今の状況にある。
変な男、と言ったのは、理由がある。
俺がこうして今ストーキングを働いている理由。
それは、レイナ先生自身が、ストーキングしてくれないか、と俺に持ちかけたからなんだ。
興味はあったさ。
潔癖症。
精神科医。
高飛車な態度。
俺に対して見せた興味。
単なる、興味じゃなかった。
それが俺には心地よく、俺の腕を見せてやろうと思ったわけだ。

先生に会ったきっかけは、連続殺人さ。
俺がな。
殺ったんだよ。何人だったかな…。
名前挙げてたら、きりがないぜ。
全部、覚えているんだけどな。思い出したところでもう俺とは何の関係もないだろ。
そうそう、本当は、先生も殺そうと思ってたんだ。
美味そうだったからな。
世間ではカニバリズムだとか何とか言っているが、あんなのは「お名前」にすぎねぇ。
食いたいから殺すんじゃない、って時だってあるしよ、
別に食うだけなら、生きたままでもかまわない。
肉を裂く感触と、食いちぎる感触、人間の肌をただの肉に変えていく感触、
感触フェチ、かな、俺は。
先生に言わせると、俺はいろいろな衝動の総合型らしいぜ。
「幼年期によっぽど波乱万丈な体験をしたんだねぇ」
って、感心しながら、俺の髪の毛をピンセットで引っ張ってたことがあったな…
…素手で触れねぇからってよ、ピンセットはねぇだろーよ、なぁ。
「っと…見逃しちまう」
公園を出た先生を、歩いてつける。
相手に知られているストーキングってのは、妙な感じがするもんだぜ。
しかし、先生は一向に自然で、まるで俺を黙殺しているみたいなんだ。
振り向いて、俺をみとめてくれないか、とも思う。
もしかしたら、俺がつけていることなんて、とうに忘れてしまっているんじゃないだろうか。
…あの先生ならありうるかもな…。

怖がらせるのも面白そうだ。
しかし、どうやって?あの先生を?怖がらせる?
そりゃ、潔癖症だと自負するくらいだから、腕でもつかんでやればイイ表情見せてくれるんだがな。
それじゃ面白くない、もっと、もっとこう、悲鳴も出ないような何か…

俺の視線に敏感になって、ストレスで狂っちまったりしてくれねぇかな。

あんまり焦らすと、痛い目見るぜ、先生。
ったく、どこに公園で犬の耳引っ張ってる精神科医がいるんだよ。
見ていると、それにも飽きたらしく街の繁華街の方向へと歩いて行く。
先生の朝の日課らしく、いつも散歩はこれから30分ほど続く。
今、家を出たばかりだから、すぐには戻ってこないだろう。

振り返ると、診療所が見えた。

助手のオルゼもまだ来ていない時間だよな。

「頂き。」

レイナ先生の後姿にひらひらと手を振って。
俺は診療所に向き直った。
無人の、先生の家。
見せてもらおうじゃねぇの、アンタの生活。
診療所に向かって歩きながら、考えた。
あの先生、潔癖症で、セックスには興味がないと言ってた。
ってことは、いつも自分でしてるってコトか?
そりゃイイや。いつものスタンスからは想像がつかねぇ。
…まさか、アレがついてねぇってことは無いよな。
あの先生のことだ、なんでもありうる気がする。

診療所に患者として来た時に、盗難防止や警報らしき物が一つも見当たらないことには気づいていた。
これは、入ってくれと言ってるようなもんじゃねぇか。
ったくよ、しらねぇぞ。
ベッドに寝っ転がった途端に仕掛けてあったナイフが身体貫いちゃったりしてよ。
ゾク。
…やべぇ、熱くなってきやがった。
アスファルトの道路から、診療所の敷地内のコンクリートへ足を運ぶ。
入り口を青いタイルを張った塀で囲んであるのは、精神科や心療内科を受診する患者への配慮だろう。
入るのを見られるってのは、抵抗があるからな、特に精神科、後よ、肛門科とか抵抗ねぇ?
診療所の鍵はちょっと変わった鍵で、ピッキングはしずらかった。
鍵穴と言うよりも、なんと言うか、ネジ穴?
とにかくツールを中に捩じ込んでガチャガチャとやっていたら。

ガチン。

…壊れた。
まあイイか、鍵が壊れていて困る顔させてみるのもイイかもな。
そもそも、これを見て、困った顔するかどうか。

診療所の扉は立て付けが悪く、スルッ、と開く物では無い。こないだもそうだった。
木製の横引きの扉(古っ)をガタガタとスライド(してるか?)させて開ける。
なんで、この扉は、緑色に塗ってあるんだろうな。
趣味か?
はじめからこうだったのか?謎だ。
扉を閉めなおして、薄暗がりの見慣れた待合室、から、診察室へ。
どうやら、自宅はこの奥らしい。
試しに診察室の机を開けてみたが、いつもの亀はいなかった。
アレをさらったら困った顔くらいしてくれそうだったんだが、いないなら仕方ねェ。
「しかし、無用心な家だな…」
渡り廊下を歩いてたどりついた自宅への扉。
鍵はついていたが、鍵がかかっていない。
蝶番がついたそれを開いて、中へ入る。

日光の入らない其処を目を凝らして見渡すと
玄関らしき場所には、黒電話が一つあるだけ。
その奥の居間に入ってみたら、ソファとテーブルだけ。
…生活感、ねぇ!
最後の手段だ、寝室くらい漁ってやる。
絶対なんか出てくるはずだ。エロ本とか、もしかしたらオモチャとか出てきちゃったりしてな。
寝室らしき扉を開くと、微かに先生の匂いがした。
たどりついたような気分。
そうか、ココにいつもいるんだな。この場所が先生のウチなんだ。
ベッドの上の布団はキチンと整えられていた。それを剥いで、掛け布団を床に落とす。
仰向けに寝ているとすれば、この辺りが、心臓。
この辺りが首だろ。
ココが、腰。
腰の肉を削いだら、その腰骨が見えるはず。
ココに縛って身体の肉全部削いで、生きたまま白骨化、とかな。
何にもない部屋だ、タンスの引出しにも必要な物ばかり。
過去がわかるような物は何一つない。
まるで、いつでも夜逃げ出来るようにしている奴の部屋みたいだ。
ああ、何かが足りない。
足元が疼く。
何かを踏みにじってみたい。
口元が疼く。
何かを食いちぎってやりたい。
身体中が疼く。
何かを…

ガタン。

「!」
音に驚いて、俺はベッドの上にナイフを取り落とした。
いつのまにか、腰から抜いていた刃渡りの長いナイフ。
俺はいつも、これを持ち歩いている。
これでなければ、ダメだと言う感覚がある。
フェティシズム?美徳さ。

それを後ろ手に隠した。

「あれー?」

今のは、先生の声。
ち、時間の感覚が狂っちまってた。
30分ってのは、意外に短いもんだな。

足音が、木の板を踏む音に変わるのは、待合室に入って来た証拠。
俺は自分の足音も気にせず、先生のいる方向へ移動した。
この足音聞いて、一体どんな気分だよ?
先生の立ち止まる足音。
俺の歩きつづける足音の早さが、自分の鼓動と重なって、内臓が脈打つ。
首の皮膚がピリピリし始めた。
ああ、サインだ。
右手の指が、何かを掴もうとして強張って震える。
すぐに、イイ感触掴ませてやっからよぉ。

「…誰だい?」
「……」

診察室で、鉢合わせた瞬間。俺の腕は先生の首をつかんでいた。

「…!」

そのまま力任せに壁に押しつける。

「…は…ッ」
「……」

悪い、先生。
止まんねぇ。
自分の瞳孔が開いているのがわかるぜ。
驚いて見開いた瞳、緑がかった色してたんだな。
やべぇよ。
爪がアンタの首に食い込む感触で、イッちまいそうだ。

「し、ら…」
「苦しいだろ?気道ふさいでんだ。もうすぐ気持ちよくなれんぜ」
「はな、し…」

苦しそうに歪んだその顔。
そんな顔、見るのはじめてだぜ?

「ど、う、し…」
「どうしもしねぇよ。」

ぱ、と手を離すと、むせこんで身体を屈める。
それをしゃがみこんで覗きこんだ。
見開いたままの目が、俺を捉える。
そう、その目。イイぜ…

「俺に衝動が起きるなんて思ってもいなかったか?先生」
「…い、いや、想像は、ついていた…」
「そうかい。殺されるの待ってたのかよ。」

頭をつかんで、もう一度壁に押しつける。
くぐもった声と、俺の手を引き剥がそうとする指。
チカラ、ねぇでやんの。
そんなんじゃ、はずせねェってんだよ。

「駄目だ、離すんだ…!」
「イヤだね。なんでだ?教えろよ。
 なんでアンタは触られるのがイヤなんだ?アンタの過去ッてのはなんなんだ?!」

言葉を言い終えて、咽喉元に食らいついた。

「が、は…ッ」

強く噛むと、先生の息が止まるのがわかった。
苦しいか、痛いか。
どの位、痛いんだ?
教えてくれよ。
ああ、何やってんだ、俺。
この人が死んだら、俺は誰にも普通に扱ってもらえないはずなのに。
いなくなるくらいなら、食ってしまおうか、いや、違う、それは違う。

「先生…っ」
「随分と、情熱的な衝動だね……っ」

俺が噛み付くのをやめると、先生は、微かに笑った。

その唇に、思いきり舌を捩じ込む。

「…!!!」

舌を噛み千切ろうとはしてこなかったけど、凄く慌てているらしいことだけはわかった。
俺の胸に手をかけて押しながら、蹴りあげようとして、もがいてる。

「そんなに、気持悪いかよ」

離した口元で。
そう言った。
爪を立てて引き裂いてしまいたい。
その、身体…
汚シテ引キ裂イテ食イ尽クシテヤル!

「さ、触っちゃイケナイ、駄目だ、やめないか…!!!」

なにを言っても無駄さ。

「知ってるかい先生。強姦ってんだ、強姦。あんた犯されんだよ」
「…ッ…し、しーにゃん…駄目なんだ、私の、精神が、飛んで…っ」

俺がまだ何もしていないのに、先生はひどく苦しそうだった。
それが逆に俺を煽りたてる。
マズイ。
ゾクゾク、しやがる…。

白衣に歯を立て、ボタンを引き千切る。
ヒュウッと、先生のかすれた息。
抵抗は無い。

「駄目なんだ、君は、今、今の君は…!」

今の俺がなんだってんだよ。
今の俺?
そうだな、あんたを強姦して、それでナイフで腹を裂いて殺してやりてぇと思ってる。
そうだな。
そうだよ。

本気だよ。

首元からネクタイを引き剥がすと、後ろ手に縛り上げた。
うつ伏せにされて胸を圧迫された息が苦しそうに歪む。
そう、もっと聞かせてくれ。

血の昇った頭で、後ろからケモノの様に犯した。
時折聞こえる、微かな悲鳴と、震える肌。
髪をつかんで顔を見てやると、懸命に顔をそらそうとする。
息を荒げて強く眉根を寄せて。

「し、しーにゃ…もお…っう…私は、駄目…ッ」
「…何が駄目なんだよ。」
「…駄目なんだ、流れ込んでしまう、私は、私、はァッ…!!!」

縛り上げた指が宙を掴んで震える。
肩口に、歯を立てて、強く噛み付いた。
歯型が残る様に。消えたらまた何度でもつけてやる。

「…っ…!狂ってしまう…!」

その言葉に、俺は絶頂へ昇り詰め…
一瞬白い火花が飛び散って、その中から黒い投げ縄が飛んでくるのが見えた。
奇妙な違和感を感じて、縄が俺の胸に飛び込んできた瞬間、瞬間だけ、記憶が薄れた。
ゆっくりと感覚が戻ってくる。
俺の手にあったはずのナイフは、その肩口に突き立てられ。
白衣が真赤に染まっていた。
その染みが、ゆっくりと広がって行く様が見て取れる。

「…っ、は、はぁ…、ヤベェやっちまった…生きてるか!?」
「生きて、るよ…ヒドイね、君は…」
「…悪い。どうかしてたんだ…」
「大丈夫、対して深くない…これ、解いてくれないか」
「あ、ああ。」

腕を解くと、先生はふらりと立ちあがった。
血まみれの白衣を裸の身体に纏って。
診察室の備え付けの机のトコロまで、やっとのことで歩いて行く。

達成感が、ない。
今までの殺しと違う、何かを感じた。
そう、言うなれば、面白くなかったんだ。
ゾクゾクはした。けれども、なにか付きまとっていて…
何かが引っかかる様な気がしていて。
犯している最中に、恐怖が走った。
確か、刺したのはその時なんだと思う。

カタリ。

小さな物音に、顔を上げると。

小さなカッターナイフを振りかざした先生が、俺を楽しそうに見下ろしていた。