救急車の中で、俺達は終始無言だった。 随分と長い道のりを走った様に思う。 その間、車の中で簡単な治療が施される。 先生の身体からナイフが抜き取られ、その傷がふさがれた。 …普通、救急車って、ココまでするものなのか? 疑問がかすめた。 その考えも、アルミの皿にナイフが置かれる音に書き消される。 「返せ」 ナイフは俺の手におさまった。 俺のナイフ。 これは俺の分身なんだ。 … オルゼは、そんな俺をじっと見ていた。 馬鹿にしてるのか。 それとも観察しているのか。 見ると、どうやら輸血もされているようだった。 あと、俺の理解できない何本かの管が、先生と繋がっている。 …見ていて気分が悪い。 俺からすれば、ナイフで裂くよりも残酷だ。 …そうさせたのは俺なのに。 クソ。 車は一般道から高速に移り、それからまだ走る様だった。 緊張からの疲れなのか、眠気が襲ってくる。 ナイフはいつものように腰に仕舞った。 眠気を紛らわそうと、シャツのボタンをいじって指先に刺激を与えてみていた、 が、それを何時までしていたのか… 睡魔にその感覚を鈍らされてしまって… 気がつくと。 あれ? まだ救急車の中だった。 見まわしても誰もいない、運転手も、いない。 なんだ? どこいっちまったんだ? ココはどこなんだよ。 ちょっとばかり焦りながら、扉をスライドさせて開けた。 赤いランプがじわじわと回っている扉が目の前にある。 そこにオルゼが立っていた。 見ると、向かいに背の高い細身の男が立っている。 白衣を来ているところを見ると、病院の人間の様だ。 見上げると、無機質な建物。病院についていたらしいな。 「肩甲骨はそれていたから、骨に別状はない」 「そ、そうですか、良かった…」 「精神安定剤をちょっと多めに打っておいたから、当分寝てると思うが…」 「大丈夫です、ユキノ先生にお任せすれば、安心です!」 コンコン。 あまりにも俺を無視する様だったから、車の外装をこぶしで軽く叩いた。 「おや、殺人鬼君」 なんだよこのエラソウで完璧気取ってて頭良さそうなこの男は。 「あ、シラさん…こちらユキノ先生です。」 「…なんだよアンタ」 「レイナの元同僚さ。」 そう言って、ユキノと呼ばれた男が笑う。 「何でほっといたんだよ、起こしてくれたって…」 「だってシラさん怖いんですもーん…」 「……レイナ先生は?」 「寝てるよ」 「寝てます」 ユキノとオルゼが、同時に俺に向かって笑いかけた。 …ぐあ。こいつら、イカレてんじゃねえの? 二人の案内を受けて、病室にたどりついた。 その個室にノックも無しで入る。 さっきまで見ていた何本もの管は既に先生には繋がっていなくて、ちょっと安心した。 良く寝てる… 覗きこむと、寝息が聞こえた。 「レイナは君の殺人の衝動をコピーしたらしいね」 「……」 ユキノが横に立っていた。 俺はレイナ先生のほうだけ見てる。 このユキノと言う男、顔を見る気になれない。 人が良さそうな笑顔、それ、仮面だろ? 「人間にはね、たまにいるんだよ。他人の精神の高揚を、感じ取るタイプがね。」 「…高揚?」 「そう。怒りや、悲しみ。もしくは狂気。」 「…聞いた事ねえよ」 「そうかな?あるだろう、君だって。家に帰ったら、教室に入ったら、妙な空気。 こりゃ、両親がケンカしてるな、とか、何か隠してるな、とか。」 言われて見りゃその程度のことはあるかもしれない。 「あるいはこの人間には嫌われているな、好かれているな、ある程度予想がつくこととかあるだろう」 「…つかない時だって有るぜ」 「感じているのに感じていないと自分に思いこませる一種の本能だ。 それによって人は鈍感になる。僕はそう見ている」 「…それに敏感だと?」 「レイナのように感化されやすくなる場合もある」 気がつくと、ユキノの話にのめりこみ、奴の顔を直視していた。 気がつかれないように目をそらして、レイナ先生に向き直る。 「人が考えている事がわかるのか?この人は」 「そう言うことじゃないんだ。感じる、と言うのかな。こうして皮膚に触る」 そう言って、俺の手の上にユキノが手の平を乗せてきた。 つい、振り払う。 「ははは。オルゼが怖がるのも無理はないな。」 「…」 ユキノの目は、ずっとレイナ先生を見ていた。 面白そうに。 苦しんで辛そうで痛そうだった、あのレイナ先生を、そんな目で見てやがる。 「人間の感情というのは、常に身体から発せられているんだよ。笑っていると顔を見ていなくてもわかるだろう。」 「…そうだな」 「それを触れる事で自分の身体に取りこむ、身体と言うのは正しくないな、精神って奴だ。 ただし、レイナの場合は急激に高揚した精神、強い感情に反応する。 そして…」 「それをコピーする?」 「そう、コピー。してしまう、と言った方がイイかな、 強い感情の流れを押さえきれずに流されてしまうこともある。今回の様にね」 「そう、しーにゃんってば激しいんだから」 パカ。 瞳を開いた先生が俺を見る。 「あんまり、私の事を明かさないでくれないかね。勝手過ぎるよユキノ君」 「君が知られたいと思っているのに喋れないのを見ていたら気が気じゃなくてな」 「……だから精神科医ってイヤだね」 「なんで」 …俺の声…、震えてねぇ? 「なんでそんなに普通にしてられんだよ!俺はアンタを…」 「刺したね、痛かったよ。でも君も私もこうして話をしている、良かったね」 「…良くねぇよ」 「……」 「良く、ねぇよ。馬鹿やろう。良くねーよ。」 ギュ、と、 つい、抱きついた。 瞼が熱いよ。いいじゃねぇかよ。 生きてたよ。 死んでないよ。 生きてたよ。 また、俺を認めてくれよ。 見ててくれよ。 俺も見てるから。 誤魔化してくれよぅ。 「…うー」 「あのぅね、シラ。レイナ君が苦しんでるんだけども」 「ゲ!悪い!」 「うーんうーん」 うなる先生に、思わず吹き出した。 大丈夫かよ、大丈夫だよな? 「水ー…」 そう呟いて、ベッドの脇の水差しに手を伸ばす。 ぺたぺたペた。 「あ?」 「見えないー」 「…」 そう言えば、メガネ、かけてねぇんじゃん。 「ええ?!伊達じゃなかったんですか?!」 とは、オルゼの叫び声。 おいおい。 その後、ユキノとオルゼは俺を残して病室から出ていった。 水もなんとか飲めて一安心のレイナ先生は、布団にもぐりこんでいる。 「戻ってこねェな、あの二人」 「あー、用意してるんだろうね」 「え?なんの」 「…ナイショ。」 「…んだよ」 「ヒミツがあった方が面白いだろう?」 そう言って、笑う。 なんでそんなに、笑ってられるんだよ。 強いのか。 それとも、 麻痺しちゃッてんのかな。 「…なぁ先生」 「なんだい」 「…」 「大丈夫だよ。慣れているから」 「…ごめん」 「大丈夫だよ。肩痛いけど大丈夫、スンゴク痛いけど大丈夫」 そうやって、冗談言って誤魔化してさ。 …ッたくよ。 俺だって笑わざるを得ねぇじゃねぇの。 「つらくねぇのか?」 「…別に大丈夫」 「大丈夫じゃねぇだろ」 「大丈夫」 「…無理すんなよ」 「大丈夫」 「…そうか」 「…」 片手で、布団を引きずり上げて、もぐりこんじゃったよ。 おいおい? おーい。 ぽむぽむ、と、上から軽くたたいてみる。 「…大丈夫じゃないよぅ」 「…先生?」 「謝るのは私の方だよ…」 布団の中からくぐもった声。 そんなん、 顔見せて言えよ。 見せろって。 布団を引っ張ったら、引っ張り返された。 「ごめんよぅ」 「お、俺は大丈夫だから、だって俺はアンタを殺そうと…」 「ごめんよぅ」 「…あんまり謝ると殺すぞ」 「うん。」 「殺すぞ?」 「しかしだね、これは安楽死と違うからね、 親族が植物状態になった親や子供を手にかけた場合、これは殺人と見なされるかどうか、 判例もあるにはあるんだがまだ議論を読んでいる不確かな問題なんだけど」 ばふ。 布団から顔を出した先生が一気にそこまで言いきって。 「暑いー」 「ほれ水」 あんがと、といって、俺の差し出した水を受け取ろうとして、 ぺち、 と、俺の手を叩いた。 「いて」 「見えないー」 「ココだよココ」 「メガネは?」 「…俺が見る限りココにはねぇみたいだけど」 ぺちぺちぺち。 俺の手をあらゆる方向から叩いて、俺は呆れ顔&苦笑い。 ぺち。 もういちど、俺の手を叩いて。 「ふーん…」 先生は、そう言ってから、なんだか笑った様に見えた。 水をやっとの事で受けとって、ゆっくりと飲む。 …殺そうとした人間に。 笑い返されたのは、はじめてだぜ、実際。 そういうと、先生はフフンと笑った。 一般人と一緒にしないでくれたまえ、だとさ。 おもしれぇ奴。 安堵と、疲れで、俺達はそこで少し眠った。 俺はパイプ椅子に座って。そこで寝た。 あの二人、戻ってこねぇなぁ。と、そう思いながら。 しんとした病院の中。 消灯の時刻はとうに過ぎて、看護婦の行き来する足音だけが響く。 レイナはじっと天井を見ていた。 今ごろオルゼの脳に移されているだろう、自分の集めたデータの事を考えて。 |