★信号を渡る子猫★
「ボタンさんよぉ、ゲーセンいかねぇ?」
「いかねぇ」
「ふんじゃ映画見よーぜ、あの食人鬼のヤツ」
「気持ちワリィからヤダ」
「んじゃなんか食う?」
「腹へってネェし」

交差点の信号で待つ歩行者達が一斉に目線を上げる。
車路全方向がすべて赤になり、歩行者信号が青になる瞬間。
何かのお告げでも受けたかのように同じ動きで操られる集団。
赤、黄、黒、銀、クリーム色。
色とりどりの頭髪が俺の目の前で交差する。
さまざまな服装、個を主張する個体。

そんなに、見かけだけに気つかってどうすんだよ。

ちらりと見たピエロの頭髪は青みがかった黒で。
これはこれで御洒落のツモリなのかな、とひとりごちる。

「じゃぁよぉ。服見にいかねぇ?」
「なんで」
「なんだよさっきから聞いてりゃ俺の言うこと全否定じゃねぇの」
「あ、そう?別に、思ったことそのまま言ってるだけだしな」

信号機の下に立ちっぱなしで。信号に釣られて歩く人たちが横を通りすぎる。
なんでお前達渡らないの?
信号、青だよ?
目線が、そう言っていた。
別に、いいじゃねぇか。青で渡らなきゃいけないって、誰が決めたんだよ。
青は渡れるッて言うだけで、ぜったいに渡らなきゃいけない物じゃないだろ?
バカみてェ。

頬に指が触れる。
目線をやろうとしたとたんに、其処を掴まれた。

「って、何すん」
「減らず口〜」
「うっせーな、離せよ」
「生意気」
「そりゃオメェだろ」

頬をつねる指をペチンと払うと、俺の顔をわざわざ覗きこみに来る。
覗きこんで、唇突き出して。

「なっまいきー」

むか。
頭に来たから離れてやるよ。
なんだよ、どっか行こうって誘うから、どっか行きたくなってついて来てみりゃ。
からかうだけからかって、特になんも面白くねぇじゃん。
気が乗らないのは、なんでなの?
離れて、歩道へ。
昨日の雨で濡れた石畳が足元を冷やす。

「なぁ。ボタンさんさ。」
「なんだ?」
「なにとハってんの?」

え?

「何に喧嘩売ってんの?」

喧嘩?そんな物売って…

「売ってるじゃん。俺にも。俺まだ買って無いけど、
 信号機にも売ってるし、その辺歩いてるやつにも売ってるし。なんなの?」

そう言われて、地面を睨みつけていた自分に気づいた。
目の前にあるものすべてを否定してて。
邪魔?そんなんじゃない。怖いから、
一緒になるのが怖いから、跳ねつけて逃げてるだけ。
離れて行かれれば寂しがるくせに。突っぱねようとするのはどうしてなんだろう。
顔を上げて、ピエロを見る。

「そろそろ怒るぜ?」
「…怒りゃいいじゃねぇか」
「怒ってもいいけど、怒りずれぇよ実際なー。
 そんな顔して言われちゃ怒れねぇって。
 詐欺師だね、あんたもさ。」

気が向いたらすりよって。
面倒ならば構わなければ一番楽。
これじゃ、猫じゃん。

「ほんっと、猫みてぇ。気まぐれな。」

同じこと、思うなよ。
猫が歩くのは、いつも自分の安心出来るトコロ。
たまに冒険しなければ飯にはありつけない。
撫でようと手を伸ばした人間を威嚇して、その優しさに牙をむいて逃げ出す。
優しさが、愛じゃなくて自己満足に見えたから。
自分を愛して撫でてくれるんじゃないんだろ?
撫でる自分が優しくていとおしいから、可愛がるフリするんだろ?
柔らかくて気持ちいいから、
単なる自分の欲望を満たすためだけに、触りたいから撫でるんだろ?

逃げたくも、なるんだよ。

ピエロの猫なで声に、人間の手のひらが近づく恐怖を感じて。
逃げなきゃ。
そう思ったから。走り出した。

「え?ちょ、何??どこ行くん!」

答えない。
怖いから。
ぜったい、俺、撫でられる。優しい手のひらが怖い。
振り向いた先に走り出す姿を確認して。
捕まえられたら、弄ばれる。逃げなきゃ。
でも、追いかけてきて、ほっておかないで。
ねぐらが欲しい猫がねぐらから逃げ出す。
怖い、怖いよ。怖がる自分が、寂しいよ。
捕まえて縛りつけて死ぬほど愛してくれなきゃ、
このまま逃げていなくなってしまいそう。
俺、馬鹿?
最低。
嫌い、自分が。なんで逃げるの。何で追いかけてくれるの?
お願いだから追いかけて、肩を掴んで怒って。
俺の行き場所はそっちじゃねぇだろって言って、誘拐でもなんでもして。
ねぐらを、与えて、そこに安住してイイよって、許して…。

ふいに物悲しくなって、立ち止まる。
後ろに、彼の気配がしないから。
振り向くのが怖い。何も音がしないから。
一人ぼっちの猫が、ぽつんと路上で座りこんでる。
身体の周りが、空虚だよ。
からだを摺り寄せてぬくもりを感じる物は、どこにも無いの?
濡れた木に手をかけて。これじゃ無い、と頭を振る。
そっと振り向いて。誰もいないただの歩道が遠く続くのを確認してしまう。
高い声で、求めて鳴き声を上げてしまいたい。
怖いよぅ。
寂しいよぉ。
一人じゃ、やだよぉ。
逃げてゴメンナサイ。
ゴメンナサイ。

ミャァ。
みゃぁ…
猫の声。
ひどく寂しそうな、猫の。

声は、横の植えこみの向こうから。
確かめるのが、怖い。

がさりと音がして、植え込みから何かが飛び出し…!

「!??!」

ミャァ。
小さな鳴き声が、一生懸命何かを求める。
腕の中で。
抱きたくても抱けなかった、信号を渡れなかった。
お前が、其処でじっとしていたから、俺は信号を渡れなかった。
俺を足元で見上げて。
俺の欺瞞な優しさを求めようなんてするから、怖くなったんだ。

暖かそうなピエロの腕の中で、そいつがもそもそと動いて、
場所を確認するように。
腕の上に、困ったように笑うピエロの顔があった。
抱けるんだな、お前は。
優しく、抱いてやれるんだな。
其れに、不安は無いの?

「これだろ?信号待ちでずっと見てたから、気になってたんだけどよ」
「ち、違う…」
「え?違う!?マジで!?もってきちゃったよ、つい。
 抱きたかったんじゃねぇの?」
「ちが…」

ぐに。
ピエロの腕が俺のほうに差し出されて。
子猫が掴んだのは、俺の腕の布地。
駄々をこねた子猫が、爪を立てて俺を掴む。
逃げたいの?
どこに?
手を、差し伸べてやればイイの?
ウソでも、イイの?
俺は、ウソでも。イイよ…

小さな身体を受けとって。
抱きつくように俺によじ登る猫に、思わず笑みが零れる。

「やっと、笑ったなぁ〜」
「え?」
「今日アンタ全然笑らわねぇからよ、
 俺がこう一発ドカーンと笑わせてやろうと思って連れ出したのにさ、
 反応ナッシングじゃん?参ったね、実際よ」

俺の抱いた子猫の向こうで、頭を掻く大きな子猫。
君が手を伸ばして俺を掴もうとしてたのに。
一生懸命俺を掴もうとしてたのに、俺は抱いてやれなかったね。
その手を貸して。
撫でてやるから。
自己満足で、十分。
目を細めて俺の欺瞞を誤魔化して?
雫に濡れた子猫が鳴くから。ちょっとあったかいトコロに行こ?

一人で信号を渡るのは、一人で人ごみにまぎれるのは怖いから。
まだ、もうちょっと傍にいよう。
皆あったかい場所に向かって歩いてる。
俺も、それに混ざってしまって、イイのか、と疑問に思ったけど。
それぞれの行き場が違うんだから、
ちょっとくらいなら、混ざっても、イイのかもしれない。

混ざったら、カッコワルイなんて。
其れこそ、欺瞞だね。

ピエロの横に立って、並んで歩く。
放した子猫は横の公園に入って行ったから。
俺達もあやかっちゃおうか。

「服、見に行こうか」
「マジ?俺行きてぇところあんだよ!」

そう言って嬉しそうに笑う。
一番行きたかった所は、そこだろ?
はじめから、言えばイイのに。
俺の行きたいところ探らないで、お前の行きたいところに連れて行って。
嫌になったら、また逃げるから。
そうしたら、性懲りもなく追いかけてくれる?


子猫達の逃げ場はいつも子猫の元。
ねぐらが欲しいならくっ付き会えば一番暖かいだろ?
信号が青になったら、空を見て、何かを告げよう。
そして誰かの元へ、帰る支度をしよう。


はは、結構、簡単、だろ?