月が糸で吊ってあるってぇのは本当かい?

小高い山の向こうに月が見えてさァ。
大きな月だったから、つい釣られてそっちに足が向いたんだ。
俺の背よりももっと、たぶん空よりももっと高いところでクチを開けてる月がまん丸に

…見えて。

真っ暗な空が月に照らされて汚い灰色に見えたのは
俺の目がおかしくなったせいなのかい?
それとも、月のせいなのかい?
どっちとも、つかないもんよなァ…

ところで、あの月は本物かい?

ゆっくりと、歩いた。
俺にしちゃ本当にゆっくりと。
走っていきゃよかったのかもしれねぇよなぁ。
月が隠れちまうからなァ…
ああ、しまった、俺の目の前の月がホラ、キタネェ雲に突き上げられるように隠されてく
走らなきゃ、見えなくなる
本当の物も嘘の物も見えなくなる。

隠したかったのは俺の方なのか月の方なのか、どっちか、ねぇ?
ああ、どっちともつかないモンだよなァ


あの時目の前で崩れたもの消えたもの死んだものすべて俺は思い出せなくなる
思い出さなくなる
ソレが人間の強さだと、どこの誰が決めたのだかは知らないけれども。
ツライ
サミシイ
クルシイ
見えた血の痕
俺は笑ってソレを記憶の奥底に隠す、そう、突き上げるような笑みで隠されてく

「おい」

呼ぶなよ…
あの月ィ、追いかけなきゃなんねぇ…
いや、駄目だ、追いかけたら食われる

「どこへ行く?」

違う、行きたかぁねぇよ。
足が勝手に行きたがるんだ。
行っちゃいけねぇ
そっちに行っちゃぁいけねぇよ、お前さんよぉ。
そう言ってつかんだ肩、振り向いたのは俺。
掴んだ腕から力が抜ける。

「あの月は、本物かい?」

俺が俺に問う。

「いんや、多分本物じゃァねェ」

俺が俺に答える。

「そう思うかい?」

そう言って俺が笑った。

オイ、ドコヘイク?

赤い月の丘へ登って、あの月を目指そう。
ああ、月が隠れちまう。
丘に昇りきったら、月はもっとその向こうにあったことが分かるから。
その丘の向こうに沢山の人がいて、
月に手を伸ばしていて、
人々に見えているのは満月で
俺に見えるのは隠れて行く月だけで。
それでいい、見えなくなっちまえ。
いや、見なきゃいけない?

足の重さに気づいてふと目をやると、俺の足元からキタネェ雲が滾々(コンコン)と湧いていた。

丘の向こうで月に手を伸ばしていた男が振り返る。
もう一人の俺が俺を追い越して行くのを殺して止めた
ソレが雲になってまた勢いよく俺の視界を隠す。
振り返った男がその間を影のように走るのが微かに見えて…
見えなくなる恐怖に、目を見開いたと言うのに。その視界を両手でふさがれた。

「あの月が本物だったらどうする?」
俺の視界をふさいだ男が声無表情にそう言う。
「…わかんねぇ」
両の手が外されて、目の前に銀の髪が揺れた。
チップザナフ。そう男は名乗って。
だから俺も名乗り返した。
「多分俺は御津闇慈」
「多分?」
「そう」
「自分に自信ももてねェのか?」

ここでは。とうなずくと、俺もだ、と、男が言って笑った。

「月が本物だったらどうする?」

二度目の口上。

「わかんねぇ」

二度目の口上。

「月が糸で吊ってあったらどうする?」

三度目の口上。

「…」

三度目の台詞。

「オマエは何もわかんねぇんだな」

四度目の言葉。



返す言葉は、どこかでいつか言ったことのある台詞「あの月は、本物なんだよなァ」



そう、小高い丘の向こう。
そのまた向こう。
振り返ったもと来た道の先。
右にも
左にも
上にも
下にも
月だらけで俺は多分このまま月に飲まれる
だから立ち止まれない

「おい」
「?」
何度目かの台詞。
「どこへ行く?」




あの月を通り越したその向こうまで



「おい」



でも多分そのもっと先まで




「オイ!」




俺の肩を掴んだヤツがいたから振り返ろうとした
「振り向くな」
でも
俺の肩を掴んだ手、その手の上をチップが掴んで笑う。舌を出して。
その舌の先に、白い錠剤が見えた。
だから結んだ唇を開放した。
俺の唇に滑り込んだのは、多分現実の塊。
そう、……



…!
…。
…日本が…滅んだという現実の塊。
ソレを俺は消化してしまうから、
そうすれば俺の後ろで肩を掴んだ俺はまた雲になって月を隠しに行く。


事実と過去を月にして見上げたなら、それには糸がきっとついている


目を開くと、冷たい顔のヤツがいた。
俺はソレに向かって舌を出す。
舌先には白い錠剤。
ソレを見たアンタがやけに気持ちよさそうに笑ったよなぁ。


「あの月が本物だったらどうする?」
「しつこいねぇアンタも。」
「どうする?」
「どうもしねぇよ」



錠剤を吐き出すと、ふわりと宙に舞って空に昇って赤く光り始めた。

あー、あれじゃぁ、綺麗な訳がねぇ

「どの月に向かって歩く?」
アンタがそう聞いて。
「みえねぇヤツがいいなァ」
「俺もだ」
「あ、そ」

幾分俺の足元が軽くなったから。
ひょい、と一歩飛んでみた。
風に身体がしなって、其処に風が吹いていることに気づく。

見上げると、月がまん丸に真っ白にひとつだけ輝いてた。
ああ、こりゃ危険だ。
それを誤魔化す様に扇で額をちょいと叩いて目をそらした。


「おっとっと、こりゃ名月だぁ」
「これがフウリュウか?」
「いやいや良くご存知ですなぁ」


足元に落ちてるいくつもの錠剤を踏みつけて、
もっと月が綺麗に見えるところへ俺はちょいちょいと歩いた。
危険を承知で。
肩を掴んだ腕に振り返ると、チップが錠剤を差し出すから、口に含んで空に帰すことにするよ。
足元のアスファルト、その先のコンクリートの壁、
煙を吐く機械帝国、国家の集合焦燥賛歌。
本物の生き物と世界が俺の目の前で右往左往。
アレでもないコレでもない。
見えてる月にゃあ興味はねぇ。
他人の月にも用はねぇ。
も一度俺の肩を掴もうとした アンタの指先 俺をすり抜けた。
「俺の月には用は無いって言うのか?」
ないねぇ。
「綺麗だぜ?」
…ンじゃちょっとは見てもいいかなァ
滑った指がまた俺の肩を掴んだから、も一度振り向いた。


…あらら、こりゃァ、結構な名月で。
でも、糸がついてんよコレ。
「普通付いてるもんだろ」
「そっか?」
「ほら」
指を指されて、頭上を見上げると。
糸の付いた月が沢山ぶら下がってた。


誇らしげに、チップが笑う。


…そうそう、糸の付いていない月が人を食うって話、知ってるかい?
とは俺の台詞。
「そうなのか?!」
とはチップの言葉。
…はは、冗談だけど本当さぁね
と俺の台詞。
「どっちなんだよ!」
と、チップの言葉。
「しーらねぇ」
とふざけて俺が言葉を返す。

…さぁてアンタはどっちだと思うんだい?

歩き出した俺たちの背後から、月が追いかけてきてるから、絶対に振り向かない。
チップは振り向いたり錠剤をクチにしたりしながら、俺の横を歩いてる。
俺は振り向かない。
「冷たいヤツ」
んにゃ、振り向けないだけだ、単なる臆病モンさ。

食われちまうのが怖いのさ。




見えてるモンを見る必要はねぇ。
さあ、歩こうや。
糸の付いた月を見上げてるやつらを探しに。
もっと見えないモンを沢山見るために。



道中お気をつけて?そりゃ、あんがとさんよ。



じゃあひとつ忠告してやるぜ。
見えてるモンにゃ、気をつけなきゃあいけねぇよ。
ソレが俺の信条なんでね、まあ記憶の片隅にでも隠しといてくれよな。

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ほい、以上口上俺の幕開け聞いてくんな、見てくんな?
舞台の上の月漫ろ(ソゾロ)、見つけてくれやアンタの月を。
俺のはどうでもいいからさァ。なぁ、見ていきなよ、あの丘の向こうで集合体になって、なぁ?
きっと綺麗だぜ。見ようによっちゃぁな。