仲居が運んできた膳を全て平らげて。
山の上のほうだから山菜が多いかと思っていたが、意外に刺身なんかも出た。
…味は左右(とかく)言うまい。

うーん、と伸びをした山崎が立ちあがって俺を急かす。

「今からが良いんだよ石段はよ」
「今から?」
「歓楽街、ってな」

その言葉に腰を持ち上げられて、言われるままに浴衣を羽織り、
玄関先から木下駄を足に引っ掛ける。
カラン、と、石段に出ると…

街の明かりで、石段が赤く光って見えた。
「ほう」
「な?」
してやったりとした顔で山崎が笑った。
頻りに胸のあたりを気にしているのは、さっきの火傷が多少痛いのだろうか…
俺も、少々図に乗りすぎたか。
石段街には人が溢れると言うほどでもなく、
しかし閑散としている風でもなく。
開け放した土産物屋、饅頭屋、射的屋から女子供のざわめきが聞こえる。

それを無視する様に、石段をずっと上まで登り始めた。
香を買い求めた左手の土産物屋を過ぎて、その先に灯りが見える。
えーと、
平仮名だから多少は読めるな…
たこ、き

「『たこ焼き』、だよ。漢字抜くんじゃねーよ、判んねーだろ」

…だそうだ。
俺が漢字が読めるとでも思っているのか。冗談じゃない、日本語ってのは一番面倒な外国語なんだからな。
漢字とカタカナと平仮名と、
まざくりあってワケがわかりゃしない。
どれか一つにとどめて置けと言うもんだ。

しかし、何故にたこ焼きか。
関係ないと判断して、その角を右に折れる。
「石段はここで終わりか?」
「うんにゃ、この先にあンだよ」
山崎の言うとおり。
右に折れた角をもう一度左に戻ると。
先に石段が続いていた。
その向こうにチラリと見える建物の影。
「?」
「伊香保神社」
「イカホジンジャ?」
カランコロン、と下駄の音。
人がまばらになって行くその先の階段の上に、
山崎の言うイカホジンジャがある。
石段街よりも急な階段を昇り詰めると、開けた場所にイカホジンジャがあった。

「ここにゃ用はねぇ」

まるで他人の家を見るようにそこを通りすぎる山崎。
文化財のような作りのそれを横目で見ながら、それに従ってついて行く。
神社の裏手の道を通る。

「そっちに行ったって何もないんじゃないか?」
「いーからいーから。」

やたらと楽しそうな山崎が。
首をかしげる様に俺を見て、ちょいちょいと手招きをした。
日本には、先に歩いて人を導いて殺す妖怪が居ると言うな。
それとも、こんな暗がりにつれこんで。
誘ってる様にも思えるが、山崎は色目一つ使わんしな…

元から使う性質じゃなかったか。

石垣と神社の間をすりぬけた山崎が不意に見えなくなって。
慌てて暗がりの中を、山崎の消えた方へと歩く。
こんな所に置いて行かれたら、たまったもんじゃない。
逃がすか。
…逃げられるかもしれない、なんて、俺は心のどこかで思っているのだろうか。

石垣を左に折れると、
予想していなかった広い道がその先に開けていた。
だが、山崎の姿はソコにはない。
左手には石垣から続く小高い丘。恐らくコレは山の一部。
切り立った斜面の上に夜空が見える。
こっちじゃない。
斜め右後ろに振り向くと、俺がきた道とは別に、もう2本の道が急な坂になって下に伸びていた。
暗がりの中、目を凝らす。
こっちでもない。
人の姿は、ない。
一番右奥の道から、ずっと民家のような建物…人が住んでいるかどうか定かじゃない…が続いている。
目を戻すと、同じように、間を置いてではあるが、民家と、恐らく元土産物屋の跡らしき物が並んでいた。
かすかな灯りがその先に見える。
こっち、
かも、
しれない。

暗闇に溶けた山崎を。
必ず探し出さなくては。

カラン。

「どこだ、山崎!」

微かな含み笑いの声。

からかってやがるな。

山沿いの斜面が月明かりに照らされて。
そこに沿うように落ちている道をたどり始めた。
カラン。
と、俺の下駄の音。
聞こえるのは、恐らく右手の民家の向こうに流れる川の音。
山奥の、一本道。
山崎の下駄の音は聞こえてこない。
どこかで立ち止まって俺を待っているか、
消えてしまったか。

進むしかない様だな。

諦めて。
そのまま、道を、山崎をたどる様に歩き始めた。
かすかに見えた灯りが近づいてきて、それが工事現場の灯りだと言うことに気づく。
こんな、ところで工事?
不粋な工事標識と遮る様に並べられた三角コーン。
その向こうにひときわ光る灯り。
「…!山崎!」
明かりの中、山崎が佇んでいた。
ゆっくりとこっちを振り向いて。
すぐに目を落とす。

姿を確認できた瞬間に、俺に安堵が走った。
逃げられたわけじゃなさそうだ。

…いつか突然消えてしまいそうで、
…それを俺は恐らく恐れている。
…何故なら、
…山崎はもう多分俺の一部に
…くいこんでしまっているからだろうと。
…抜けない棘。
…抜いたら、ソコから流れるのは血なのか、それとも…

「どうした?」
山崎に近寄って話し掛ける。
「工事してんよ」
「見りゃ判る」
「崩れたんだな、斜面」
見上げた山崎の目線にそって、同じように見上げる。
切り立った山の一部が、まるで食いちぎられた様に消えていた。
土砂崩れの跡。
山崎の立っている足元から、敷き詰められた板の上に
山のように積み上げられているのは、恐らく崩れた際に落ちてきた木々の破片なのだろう。
それを、足で突付いては、見上げる。
「スゲーな」
「ん?」
「壊れちまった。こんな簡単によ」
「なにがだ?」
つい、と指差した先には大自然の噛み痕。
「なくなっちまった」
「…なにか、あったのか?ここに」
「いや、何も。」
妙なことを言う。
呆けた様に見上げつづける山崎の目の前に手をかざして振ると、イヤな顔をされた。
「別にトリップしてるわけじゃねーよ」
「ならイイんだが」
「ただよ、あって当たり前だったモンがよ、こう、
 あまりにも当たり前みてぇにサクっと消えちまうとなぁ」

ゾクリ。
寒気がした。
思わず山崎の腕を引いて。
抱き締める。

「なんなななな、なんだぁ?!」
「う、うるせぇ!」
「なんだよ突然!!」

当たり前の様にここに居るのに

「驚いたんだ」

俺の声はかすかに震えてた。

「え?な、なんだよ」
「お前が消えたかと思った」
「……消えても傷痕くらいは残るだろ」

この、山のように?
違う。
傷痕は、傷痕であって。
お前自身じゃない。
片付けられてしまうこの木々ではない
崩れないでいてくれよ。

「随分と女々しいコトすんなァ?」
「黙れ山崎」
「…情けなくねーの?俺が居なきゃ駄目なのよーってか?」
「黙れ」
「だってよぉ」

共有した時間、
共有した場所
共有した悦楽と
すれ違っても引き戻す俺達の強引さ
消したくはない、と、思っちまうのは。
間違いじゃねぇだろう?

…まだ3日ある。

山崎に、俺を刻み付けてしまえば。

「どーしたよオッサン?」

山崎がそうは思わないのだろうか。

「ここですんのは寒いぜ?」

苦笑い。
なんでお前はそんなに気楽なんだ?
この旅は。
終わりがあるのに。

「この木よぉ。」

話をそらすな

「落ちてるけどよぉ」

そらすなよ

「手ェ繋いで落ちたヤツも居たんだろうなァって思ってたんだけど」




抱き締めた腕を離した。
山崎が苦々しく笑う。
落ちるか?
残るか。
「手なんか繋ぐか」
俺はひしゃげた口で言った。
それに笑い返される。
「なに言ってンだよ。繋がなくっても俺の足引っ張るツモリだろテメェ」




言うねェ。




カランコロン。
その先のもっと先まで。
もっと先の暗闇まで。


赤い橋を通り越して。
その橋がなんの橋でも構わない。
もっと先の暗闇へ。


いつしか川の流れは俺達を挟み込んで、両側に流れていた。
月明かりに照らされた鈍色の川。
錆びた赤い川。


先に見えてきた灯りに、山崎がまた手招きをする。
逃げるなら捕らえる。
それが俺のやり方だった筈だ。
捕らえて捕食する。
一度逃がすのも、それはそれで食欲をそそる物かも知れんな、と。
行き止まりになっていた道の。
その脇に隠れるように建っていた、離れの元湯で身体を温める。
こんな所に浴場があったとはな…
はじめから、そう言えばいい物を。

上がり立ての熱い身体を、
つい、引き寄せた。

行き止まりのフェンスを二人で乗り越えて。
紅葉と川と月と山のシルエット。
「面白い場所知ってるじゃないか」
「ったりめーよ。一人占めってのは俺のモットーだからな」
フェンスを乗り越えた、元湯の建物の裏で。
立ち上る湯の煙に、微かな寒さも掻き消える。

「…セイバー…ま、まさか…」

後ずさる山崎に、爪で狙いを定めた。
「こんな人気のないトコ連れて来たってことは?」
「はぁ?!ちょ、そういうツモリじゃ…」
掴んだ肩に、軽く爪を立てた。
「痛ってぇ!待て、待ってってばよ!テメーは動物か!」
「動物だ」
「この万年発情期ーッ!!!」
そりゃ、エライ言われようだな…
んじゃ、納得して頂けたようだし
「納得してねェ!」
俺のことを『万年発情期』、と言いきったと言うコトは、
発情してるのはお見通しなんだろ?
なら、近場の雌に求愛して交尾するってのが普通だろ。






フェンスを握り締めた手、それをその上から握り締めた。
「……ッ、は、…」
浴衣を捲り上げて。
腰を引き寄せるように突っ込む。
ギシ、と軋むフェンスの音。
湯の流れる川の音と。
俺が濡らした柔らかい肉の音。
「聞こえるか?」
「…バッカ、ヤロ…!…んッ…」
まー、子孫は残せねえけどな。
「動物は中出しが基本だったよな?」
「…や、止め…ろ」
「メスは鳴いてりゃいいんだよ」
「誰が、メスだぁっ!!!ーーーッ!!!」
叫んだ山崎に、ちょっとしたお仕置き。
すぐ裏手は湯地場なんだからよ。
ばれたら、不味いぜ実際。
自分の帯を解いて口に噛ませて縛り上げた。

「ん…」
「声出すと見つかるぞ」
「…ッ…」

入れたまま、前を握って擦り上げて。
仰け反る山崎を、無理にフェンスに押し付けて、立ったまま犯した。
漏れるくぐもった声。
捕らえたエモノ。
ここで全部食い尽くすにゃ勿体ねェ、持ち帰り決定。な。




石段をフラフラと降りる山崎の襟首を掴んだ。
どっか掴んでないと、コイツ、そのまま転がり落ちそうだったからな。
「大丈夫か?」
「…」
「大丈夫か?」
「…射的もっかいやろうと思ってたのによ〜」
見ると、射的屋はもう店じまい。
まあまあ。
「俺が後でぶっ放してやっから」



さー。



今の音はまぎれもねえ、
山崎の血が引く音だな。
逃げないエモノ、捕らえた俺は大満足。

命綱無しで土砂崩れ、渡れそうな気がするぜ、俺はよ。

そう思って山崎の首に顔を近づけると。
微かに、動物の匂いがした。

ああ。コイツも渡りきる気でいる。


そうだな…
動物の匂いが充満するこの街で。その中に紛れこむのもイイもんだろう?