カタン、と何かがぶつかり合う音を聞いて。
それで俺はぬるま湯みたいな眠りから、ジワリと引き剥がされかけた。
…眠い。
なんだったんだ、今の音は。
…うう、眠い…頭がボンヤリしてやがる…
目開けるのめんどクセェな。イイか、音くらい…
でも、気になるな…

カタン。

…なんだ?
薄目を開けて、天井を見る。
そのまま、何も考えないで居たら、目が閉じそうになった。
沈んでいきそうな、そんな感覚…

カチ。
「?」
今のはハッキリ聞こえたぞ。
鍵の開くような、金属と金属が結合する瞬間の音。
ベッドに沈もうとする身体を、無理に引き剥がして。
音のするほうを睨み付ける。

ココはマンションの一室。
セイフハウスとして、俺がよく使っているマンションだ。
…ちなみに、セイフハウスッてのは、そうだな、日本語で言えば、
「隠れ家」、ってトコだな。覚えとけ。

っと、そのマンションの扉からその音は聞こえた。
ピッキングか。
にしても、妙だな。
泥棒や強盗に入るなら、もうちょっと面倒のなさそうな、
中の様子がある程度分かる部屋に入るってのが普通だ。
こんな、様子も得体も知れないような、
そりゃもうカーテン掛けっぱなしで開けたことがないような部屋に忍び込もうなんざ、狂気の沙汰だぜ。
しかし、開ける早さから言うと、素人ってワケでもなさそうだ。



開けたまま、入ってこないってのは何なんだ。
裸の身体じゃなんだから(クセなんだから何も言うな)近くに放り投げてあったバスローブを引っ掛ける。
玄関先まで出て、外の様子を音でうかがうが…
何も聞こえてこない。
俺が気がつかないうちに、部屋に入ったのか?
そりゃねェな、俺はソコまで衰えてねェ。
んじゃ、外にいるのか?それとも開けるだけ開けて帰ったとか。
いずれにしろ、不可解な難問至近距離ブチヌキ状態だな。
…俺の言ってることのほうが難問だなコリャ…眠いんだからしょうがねぇだろ。

カチ。
俺の目の前で、ゆっくりとノブが回る。
「押し売りは間に合ってるぞ」
寝惚けてるとは言え、ちょっと阿呆な言葉の掛け方だったか?
…まあいいか。
扉の向こうから、クク、ッと、小さな笑い声。
「?誰だよ。知り合いか?」
「入るぞ」
ガチャ、と扉を開けて入って来たのは。
ゴチ。
「頭ぁ気ぃつけろよ」
「遅ェよ!」
ヒタイをさすりながら俺の目の前にのっそりと現れたのは。
「何しに来たんだオメーは…って、どっちだ今日は」
「どっちでもイイ、好きな名前で呼べ」
「マコト君とか呼んでもイイのか?似合わね−」
「…セイバーで良い…」
そう、本人が言うならしょうがねぇな、そこに居たのはマコト君…じゃねぇや、セイバートゥース。
「山崎、寝てたのか?」
「そうだよ邪魔すんじゃねェ。しかもワケのわからない訪問のしかたしやがって」
「ピッキングの練習だ」
「泥棒にでも転向するのか?窓でも玄関でもブチ破れるだろオメーの馬鹿力ならよ」
「良いのか壊して」
「……良くねェ」
なんか良くわからない理論だが、壊されるよりはマシか。
っていうか、何しに来たんだ。
……
っていうか!
なんでこの場所を知ってるんだ?!
「お、やっと目が覚めたか?」
俺が思わずセイバーの姿を再確認して、唖然としたのを見て、満足そうにそう言いやがった。
「…なんでココが…」
「昨日から着けてた。気がつかなかったか?」
「…つくか!ハイエナみたいにコソコソとテメェ!」
「アリガトウは?」
「は?!」
セイバーがニヤニヤしながら、俺を押しのけて部屋に入る。
その背中を見送って…
って。
「こら待て、勝手に入んな!」
「ホラよ」
奥のベッドに腰掛けたセイバーの手から、何かが飛んで来て、慌ててそれを受け取る。
ん?
この感触は…
「あ?コレ…」
「お前の財布だろ。」
「…なんで…」
「まぁアレだ、俺が持っててやったんだ、感謝するんだな?」
落としたのか?
…まぁ、確かにこれはなくなると困る。
しかし、なんで気がつかなかったんだ?
俺は後ろのポケットに突っ込んでおくクセがあるから…
ってことはやっぱり落としたのか…?
余計なところで、余計なヤツに世話になっちまったな…
「で?」
面倒だけど、聞き返してやる。
「で、とはなんだ。感謝の気持を表してもらいたいな。」
「あーあー。アリガトウよ」
「それだけか?」
「……ハァ…俺に貸し作ったツモリか?」
その言葉に、セイバーは何も言わずに。
ベッドの上に、ギシ、と音を立てて勢い良く寝っ転がる。
「それは俺のベッド。」
「煙草クセェ」
「だったら離れろ」
「何も見返り期待せずに俺が親切をすると思うか?」
…お前の親切が一番怖いと思うぜ、俺は。
優しくされたら狼と思え、ッてな。
日本で平和ボケせずに、獣のまま生活出来てるのはコイツと、マスコミの犬ども位だろうなぁ。
「良いじゃねぇか、させろよ。」
そうイイながら、頭だけもたげて俺を手招きする。
寝起きで、それかよ…
ああ、寝覚め悪ィ。
もしかしたら、コレは夢の続きじゃねぇかと思って、ほって置いて顔を洗いに行ってみる。
お湯は使わずに、冷たい水で。
戻ってベッドを見ると、寝っ転がってるデカイ男は消えずに残っていた。
うわ、現実でやんの。

「なんで俺に付きまとうんだよ。」
「おもしれェからに決まってるだろうが」
面白いか?俺は男にストーキングされても何も面白くねぇぞ。
そもそも…
「なんで俺の部屋の鍵開けてんだよ」
「今更の質問だな」
「今更気づいたんだよ」
「別に、寝てたら強姦でもしようかと思ってな」
はぁー?!!
開いた口がふさがらねぇってのは、まさにこう言うことだろ!

「たまにな、思い出すんだ」
な、なんだよ突然。
セイバーは、寝っ転がったまま、上を見たまま。
「そう言うことねぇか?過去に知り合ったヤツがよ、今何してるんだろうって思うこととか」
「…あんまりねぇぞ俺は。」
「そりゃ、知り合いがすくねぇってことじゃねぇか?」
「…思い出しても楽しくねぇ」
「…そりゃまたなんで。」
…思い出すってのはよ。
綺麗な物ばっかりじゃねぇだろ…
兄貴の事とかでも、そうだろ。
楽しかった事とか、気持良かったこととか。
その後には、あの人の死があって、それを思い出さずにはいられなくなるじゃねぇか。
「お前と一緒にするな。
 思い出ってのは良いものばかりじゃねぇからな…」
「……」
セイバーが押し黙った。
あまりに静かになったんで、突然死でもされたかと思うくらいに。
近寄って、覗きこむ。
ぐい、
力任せに引っ張られて、ベッドに引きずりこまれた。
何が起きたのかと目をぱちくり。
俺の身体の上にまたがって俺を見下ろすのに気づいて。
慌てて取り繕ったように睨みかえす。
「…そういやお前にも過去があったな」
「…セイバー?重いから降りろ」
「……」
セイバーの息が、耳元に下りてきて…
そのまま、耳朶を強く噛む。
「ッ…!」
痛みが走った部分を、ゆっくりと舌が舐る。
「…、お、おい…」
セイバーは無言で。
ちょっと気味が悪くなるくらいに。
耳や首もとに舌の愛撫を押し付けながら、無骨な手が俺の前をはだけた。
「…痛…ぅっ!!!!な、なにしやが…っんっ!」
胸元に、棘のある強い圧迫感、それが鋭い痛みを伴って深く線を引く。
痛みに仰け反って、息を詰め。
残された傷跡を薄目で確認する。
セイバーの爪が肌に食い込んで。
俺が目撃した瞬間は、もう一度爪がつきたてられるその瞬間。
「や、止めろ…う、ぐぅ、…っ…!」
聞こえるのは、ゆっくりと繰り返されるセイバーの呼吸。
それと、痛みに堪えて乱れる俺の呼吸音。
引き裂かれた後の痛みが熱さを伴って、肌を支配する。
深く裂かれた傷から。
俺の身体に流れている筈の血が、まるでゼリーみたいにゆっくりと流れた。
「どうし、たんだよ…セイバー」
「……どうもしねぇ」
「ウソ、つけ!」
俺の言葉を全部無視するかのように…
もう一度爪が立てられたのは、開かれた内腿。
「ま、待て…!!止め、………!−−−−−−−ッ!!」

息が止まって。
やッと呼吸を取り戻した時には、涙が滲みかけていて。
セイバーが俺の顔をじっと見ていた。
「なん、だよ…」
「すまん。痛かったろう」
「当たり前だ!!って、痛ェ…血ィ、出てんじゃねぇか」
俺の顔をじっと見たその瞳が、
何かに困惑するようにすっと細められて。
それを見た俺だって、困惑を移されたみたいに…
傷から流れる血を舐めとる舌に、感覚が麻痺しそうになる。

「どうした、んだよ…っ、ん…」
「…別に…」
別に、何もなかったならあんな事するわけねぇだろ。
何を考えているんだろう。
なんで爪なんか。
なんで傷なんか。
後が残っちまったらどうすんだ、こんなクマに襲われたような傷あと…

跡…?
過去。
「セイバー…」
「…なんだ」
「身体より、心に残せよ。そのほうが長く続く」
「…馬鹿野郎…それができねぇから…」
そんな、顔するなよ。
そんな、声出すなよ。
「心に残れば、お前が傷つく」


そ…
そう、
それが、つらくて…
兄貴は、なんで俺の心にこんな深い傷残して行きやがったんだ。
残酷で、強くて、酷くて、最悪だ、でも、あン人以外、こんな事、出来ない。

それが、セイバーには、どう映ったのか。

見えたんだろ。
俺の中に、知らない傷があったのが。

俺には、お前の傷なんか一つも見せないくせに。
卑怯だぜ。

「セイバー。悔しいから、教えろ」
「え?」
「お前に残ってる傷をつけた持ち主の名前だけでイイ、教えろ」
「……」
「教えろ。不公平だぜ。」
「…それは…」
「…口篭もるってことは、あるんだな、やっぱり、傷。」

思わず、笑みが漏れた。
嬉しいからじゃない。
安心したのでもない。
悔しいから、誤魔化す為でもない。
何故だろう。
何かを許したくて、だから。

「……山崎…」
「しようぜ。」
「なに?」
「いーコト。」

なんでそんな困惑したままの顔してんだよ。
話が摩り替わって驚いてる?
いいだろ、誤魔化そうぜ。
なかったコトにはしないけどな。
過去の上に鎮座してよ、そんで神に背く行為だ、と思えるくらいのコト、しようぜ。
傷は少ない方がイイ。
傷になるコト、
それは。


お前自身が傷つくコトなんだろうから。



1度目が終わって、セイバーが葉巻に火をつけた。
独特の匂い。
部屋に充満して、俺の身体まで満たす。
どこ見てんだよ。
葉巻に嫉妬した俺が、その横腹に蹴りを入れると、
うつ伏せに押しつぶされて後頭部を殴られた。
「ってーな、あ、ちょ、ン、く…ぅッ!!」
掴まれ持ち上げられた腰の奥のほうに異物感を感じて。
かすれた悲鳴と、葉巻のゆれる煙。
「吸うか?葉巻」
「…そ、そんな、余裕…ねぇ…っ…」
「それは良かった」
意地が悪いヤツ…
まあ、好きな様に刻みつけてみればイイさ。
お前のやり方で、
お前だけのやり方で、俺の過去になればいい。
現在進行形の、な。


進行形で、頼むぜ?ホント。