「フチュウ?」
「そ、フチュウ」

もそもそと、薄手のコートを羽織ながら山崎が言う。
黒の上下に、ベージュの薄手のコート。
…顔つきと髪を除けば、どこかのセクシー山下刑事みたいだ。
それはおいといて、フチュウだそうだ。
聞いたことが無いその地名に、少々面食らう。
「い、いつ帰ってくるんだ?」
「は?」
「フチュウってのはどこなんだ?」
飛行機に乗って海の向こうまで行くとして、大陸側だとしても丸一日で戻ってこられるかどうかわからんし、
そもそも、そんな話になるなら、早く俺に言って置いてくれればこっちだって用意をしておいたというのに!
「…ぷ」
「なにが、” …ぷ ”だー!」
そもそも、俺は一日我慢するので精一杯なんだぞ。
このやり場の無い欲望はどこへやったらいいって言うんだ?

「…ココまで来ると笑えなくなってくンなぁ」
「笑い事じゃないぞ!」
「府中ってのは東京、よーするに日本だよ、ココからそうだな、電車で二時間ちょい」

苦笑いする山崎に、力が抜けて毛が抜けるかと思った。








「珍しいな、オマエが電車で行くなんて」
「まーしょうがねぇよ」
確かに、山崎は手持ちの車を篠原にやってしまっていて、
車といえる車は家にはなかったからな。
篠原のモノになった車を借りてくることは可能だったが、
やはり丸一日程度は借りっぱなしになるだろうから、
さすがの山崎も気が引けたというところか。
…ちなみに、山崎は結婚祝いにってんで、あのパトロールをくれてやったんだが、
車内のクリーニングはきちんと業者にさせておいたからな。

「で、何でオッサンがココまでついて来るんだよ、見送りなら…」
「スカしたことを言うもんじゃない」
「は?」
「暇なんだ」
「…はは」

’みどりの窓口’とかいうめっぽう変わった名前の場所でチケットを買って、
たいして待たずに新幹線に乗り込む。
乗りなれているのか、山崎はさっさと指定席に座ってコーヒーの缶なんかを開けてくつろいでいる。
しかし、日本の電車の車内というのは、狭いな。
「お前がデッケェだけだろーが」
「天井も低いぞ」
「いーから座ってりゃいいんだよ」

なんだか怒られた子供のような気分になって、
山崎の隣におとなしく腰を落ち着けることにした。
チケットは3人分取ってあったから、境目の肘置きを持ち上げてしまって多少ゆったりと座ってみる。
「オメー、金のかかる体だよなぁ」
「お前ほどじゃない」
発車のベルと同時に俺の脳天に缶コーヒーの底が食い込んだ。


電車の外を見ると、ホームに並んでほうけている阿呆面が地面を見ていた。
ゆっくりと動き出し、ソレがスライドして消えて、「アレはなんでもないモノ」という枠にすべてが閉じられて流されていく。
駅の構内をすり抜けて、町並みが凸レンズの中を回るように流れていくのを見て。
旅、なんて言葉なんて思い出して。

…山崎に案内させた日本での一週間のコトなんか思い出して、ほくそえんでみた。

「クリード?気持ちわりーぞオイ」
「ん?ああ」
「そうだ、向こう行っても、俺の仕事の間邪魔すんじゃねぇぞ」
「…むう、一人でなにをしていろというんだ」

ソコまで考えてなかったからなぁ…
そもそも、俺の日本語は片言だ、
どこに行ってもまともに動ける気がしない。
「オッサンの日本語なら、多分どこに行っても通じると思うけどなァ」
「そうか?」
「まぁ。俺もビジネスなんだ、今回ばかりは頼むぜ?」

俺は仕方ない、という顔をして見せてから、タバコを咥えた。

途中で京王線とか言うのに乗り換えて、
さらに俺はきつい思いをして。
なんでこんな時間にこんなに混んでいるんだ!?
山崎は俺を見て苦しそうに笑いっぱなしなんだが、俺はそれドコロじゃないぞ!?
…あんまり笑うから、
ドアの端っこに背中を向けて立っている山崎に
痴漢行為なんか働いてみたら、
靴の踵で足の小指を踏まれた……―――〜〜〜…






  オオリノカタハ〜オワスレモノニ〜…





「ココで降りんぞ、エロジジィ」
口をひねてる俺に舌をだして笑いながら、山崎が俺の腕を引っ張って促す。
やっと解放された気分で、ひょい、と上を見上げると。




         _____________
| |
| 府中駅 |
| |
 ̄ ̄ ̄ ̄




なるほど、フチュウとはこう書くのか。
「そんじゃよ、俺、駅前の方に用があんだわ、お前勝手にその辺ふらついてろや」
「おう。」

野良猫みたいにヒュ、と姿を消してしまった山崎を目で探すが、
建物が邪魔でよく分からない。
駅前は、日本にしては多分広めに作ってあるだろう道の両側にオマケのように植わった木々、と、
おそらく名前としては商店街なんだろう、町並み。
どの看板がどの店の物なのか、グチャグチャで。
…山崎はこういう感じの場所が好きだな。
もともと俺に出合うきっかけになった香港でのバイヤー生活、
その間にこういう雰囲気に慣らされたのかもしれんな。
まだ夕方前だというのに、無意味に点けられた看板の電飾。

さて。これからどうするか?

考えながら歩いていたら、商店街の端まで来てしまった。

…短ッ。

しかたない、戻…

ん?

目をやると、なにやら相当にごちゃごちゃした建物が見えた。
建物の前にはでかでかと「ドンキホーテ」とやら書いてある。

「うむ」

と、一人でうなずいて、その店に入ってみることにした。

店に入ると、なにやら『何でも屋』風の店。
食べ物から、IT機器類まで、めちゃくちゃにごちゃごちゃに(おそらく整理はしているつもりなのだろう)置いてある。
犬の首輪を手に取りながら、「コレも旅なんだろうか」と考えてみる。
前に山崎に案内させた一週間は、こんな感じじゃなかったな。
やはり近くにいるのといないのとでは違うか。当たり前だな。
山崎に何か買って行ってやるか。
この首輪も買うか?
つけるのか?山崎に。
つけておきたい気分だな。
いつ、どこに行ってしまうかわからん、キマグレな野良猫だからな。

このまま、アイツがいなくなってしまったらどうする?

…否定しきれない自分に、つい舌打ちが出た。



不意に顔を上げると、最新版のナビゲーション機器。
ガラスケースの中に納まっている、ソレの前面にボタンがあるのを発見して、

ポチリ

「フチュウエキ シュウヘン デス」


ほう。
日本語を喋るのか。最近の機械は。

そのナビゲーションを目で追っていて、その一点に目を留める。


…気晴らしだ、たまにはいいかもしれんな…




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「ってなワケで、手ェくんでくれれば美味しい思いができるってわけだ」
「…ウーン」

クリードと分かれて、俺が入ったのは、
ビデオショップ。
ちょっと普通と違うそのショップは、どこが違うかというと、
海外の輸入ビデオ専門の店だってコトだ。
当然マニアックなビデオもあるし、裏のほうでは海外のテレビ番組を録画して販売もしている。
毎日のようにここにはビデオが入ってくる。
そのビデオの中に、ちょっと紛れ込ませてくれりゃいいんだ。
「な?」
「…ウソカモ思うし」
片言の言葉で喋るその男は、アラブ系の濃い顔で、俺をしげしげと眺めている。
俺の顔も結構広くはなってきてるんだがな、
こういった下町で動くにゃまだまだ広さが足りねぇ。
名前を出したところで、本当かうそかもわかったモンじゃねぇからな。
早いトコ、自分の顔を通行証にしちまいてえモンだな。

カウンターに乗り出して、後ろのボックスのビデオに目をやる。

「アレはどういうルートで入れてんだ?」
「アレ?シリマセン」
「…ったくよぉ〜…俺のルート使わせてやるからよ」
「…」

こりゃ、一筋縄じゃいかねぇな。
この辺にも拠点起きたかったんだけどなァ。
もう少し、地面固めてからじゃなきゃ無理か?
それとも、この辺の地元の暴力団に腕利かしちまうか。

そっぽを向いてしまったカウンター内の男に、
さて、どうしたもんか、と、屈みこんで肘をついた。

「…」

そらしていたはずの目が、俺を見てる。

「あん?」

「…」

今度は、俺のほうに顔を近づけて。

「な、なんだよ?」
「…ソレ」
「あ?」

男が指差してたのは、俺の手。
なんだ?
俺の手に何か…

指輪。
ずっとはめてたから、忘れてたぜ…

「ミセテ、クダサイ」
「外れねぇから此の侭でイイよな」
「勿論デス」

男はマジメな顔をして俺の指にそっと手を添えて。

「アトデ、コチから連絡します」

俺を見上げて、気持ち悪くなるほどマジメな顔でそう言った。




どーも、上手く行ったみてぇだな。
しかしなぁ、驚いたぜ、この指輪、冗談かと思ってたら本当に使えるでやんの。
こんなもん付けられた時は、ギャーとかヒー!とかそんな気分だったんだけどな。
引っ張ってもなかなか抜けねぇしよ、男だてらにこんなアクセサリーなんて、
変に照れクセェし、
よくあるじゃねぇか、右の耳にピアスでホモ、とかよ。
この指輪、左手の薬指だぜ?!
…結婚指輪のつもりかなんかしらねぇけどよ…

…助かったぜ。


そう言えば。

自分の指を見て。
商店街を見回した。
たしか、向こう側の道に…



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あたりはもう真っ暗。
さっきついていた電飾も、この時間になると意味を成してくるな。
しかし、山崎はなにをしているんだ、携帯にも連絡ひとつ入ってこないぞ。
本当に、消えちまったんじゃないだろうな。

携帯を引っ張り出して、画面をまじまじと見てみる。

ピリリリリリリリリリリ


「ぬお!」


手の中で振動する携帯に、思わず飛び退きかけて、辺りを見回した。
誰も、見て無い見て無い。よし。

「あーモシモシ」
電話の向こうの声は、山崎。
ため息が出るほど安心して、携帯に集中した。

「どこにいるんだ?もうこんな時間だぞ」
『お前こそどこにいんだよ、商店街から離れちまったのか?』
ぶつくさ言う声に、ん、と伸びをして。
「いや、離れてはいないぞ、ずっと商店街で待っていたからな」
『え?どのあたりだよ』
多分、携帯の向こうできょろきょろしているんだろうな。
多分…
ん?


「…山崎」
『アン?』
「ランジェリーショップに何か用でもあったのか?」
『え?』

山崎が、辺りを見回して。
はは。
見えているぞ。
お前の姿は、全部ココから。


=======================================


クリードの含み笑いに、辺りを見回しても、人通りもたいして無いし、
どこに隠れてやがるんだ?
まさか、また、上とか、木の。
見上げてみても、うーん、この木じゃあいつが乗ったら折れちまう。
んじゃ、ビルの上か?見えねぇぞオイ。

パン、とクラクションの音がして、ちらっとそっちを見て
あーあ、商店街ってのは違法駐車の行列だな。
車の上とか?そりゃ目立つからすぐにわかるし

パァン

「?」

うるさいクラクションに、チ、と舌打ちをして睨みつけ…

「は?」
「遅いぞ山崎」
「…は?」

車の窓から顔を出しているのは、クリード。
フルエアロフルスモークのガラの悪い車から。
その、運転席から。

「な、ど、どこで盗んできたんだお前!?」

駆け寄って覗き込むと、ブースター系にコントローラーがオールインワンになってるモンがついてたり、
シートはレカロだし、バーは通ってるし
外からいくら見ても元の車がなんだかわからねぇ。
多分、VIPクラスのニッサンかミツビシ、いや、もしかしたらホンダ?
トヨタっぽくはないんだけど、日本車なコトは間違いなさそうだ。
…タイヤ、新品じゃん。
ついでに、ホイールは最高級品のBBS・RS-R。参った。

「ポケットマネーじゃコレが精一杯だったが、やはり車の方が落ち着くだろう?」

ポケットマネー?!
思わず、地面に転がって大爆笑しそうになったぜ本気で!


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面白がってる山崎に運転席を譲って。
俺は助手席に身をおさめた。
あのあと、ナビゲーションシステムで見つけた中古車屋にその足を運んで、
たまたまソコがチューニングショップだったから、イカレた車が多くて。
その中に、ひときわ目立つブラックボディ。
今朝の山崎のスタイルと混じって、つい…
「そんな理由で、こんなん即買いしたんか?ハァー」
ぱんぱん、とハンドルをたたいて、満足そうに笑って。
やはり、車が無いと不便だろう?
「ん、まぁな」
「お前を閉じ込めてるみたいで気分もイイ」

自分の言葉に、山崎の突っ込みの一撃を誘発する可能性を感じて、
思わず身をすくめて構えた。

「…いーぜ、監禁でも何でもしろよ」

…へ?

すくめた体を楽にして、山崎を見ると、俺をジっと見てた。
…こりゃ、とんだ野良猫だ。





車は高速を走って、二時間かからずに高崎までたどり着いた。
そのまま、国道をすぎて、柳川町横を通り抜け、家の前を通り過ぎ…

「??山崎?」

「…」

「どこへ行くんだ?」

何か言いたげに俺を見て、口を尖らせて、車をどんどん進めていく。
??
なにか、あったのか?
様子が変だぞ。
やけに楽しそうだったり、今みたいに口をつぐんでみたり。
俺に何か言いたいことがあるなら、ハッキリと…

「クリード」

…言う気になったか。

「…腹へらねェ?」

ガク。

「いや、別に…」
「…俺も」

また、そのまま無言で。
フチュウで何かあったんだろうか。
余計な想像をしてしまうじゃないか。
…はやく、ハッキリしろ。

さもないと。



まだ、肌寒いというのに、車はどこかの高台に止まって。
山崎が降りたから、俺も降りた。
「どうしたんだ?」
「…あー」
「なんだと言うんだ?」
「…こ、この車、元はなんだったんだろうな」
「知らん。さあいい加減ハッキリしろ。」
「…クリード?ちょ、っと、落ち着けよ」

もう我慢ならんぞ。
何か言いたいことがあるなら…
と、肩に手をかけてボンネットにでも押し倒して
やろうと思ったら。
山崎の体が、不意に沈み込んだ。
「?!?」
立ってる俺の腿を掴んで、俺を見上げて。
「ボンネット、座れよ」
「…」

声に、なぜか逆らう気になれずに。
言われるまま、ボンネットに腰を下ろした。
ベルトの引き抜かれる音に、体を起こして山崎の頭部を見つめる。
「お、おい、山崎?」
「…あんなぁ」
一体、どうしたと言うんだ?
自分から、なんて、そんな美味しい。
いや、美味しいとかじゃなくて、なんだ?どう言ったらいいんだ?
突然のことに、多少頭が錯乱気味だな。
ヤルコトはひとつ。そうだ、ココはひとまずいつものように…

ふ、と山崎が顔を上げて。
下腹部の肌に直接、山崎の指の腹が当たる感触がした。
そのまま、俺のソコに舌をつけて、確認するようにゆっくりとなぞる。
「…上手くなったもんだな」
「…うるせー」
「ソレがしたかったのか?」
「…」
先端まで舐めて、俺を見上げて。
そのまま体を沿わせるように俺の口元まで。
「…どうした」
「クリード」
「ん?」
「スゲー俺、ヤられたい気分なんだけどよ、どうするよ?」

山崎は、そういいながら、自分のことに戸惑っているようで。
なにか、体の奥に引っかかっているようだから。
全部、ほぐしてやることにした。




「…っは」

ガードレールの柵に後ろ手に指をかけさせて、
山崎の体を、自分の体で持ち上げた。
深く刺さる俺の感触に、掲げた片足へ痙攣が走る。
「あ、ァ、 、―――ッ、…」
高い声を上げて、俺にしがみついて。
「どうした?ヤケに欲しがるじゃねぇか」

「る、せーなぁ…いーだろ、俺が、……お前チョット尊敬しても、…ッ」








はい?







山崎の腕が俺の頬を挟んで。
ペチ。

舌から先にキスを求めるから。

唾を飲み込んで、舌から先にキスをした。

尊敬?
俺を?


…気分は、悪くなかった。
いや、
最高に良かったんだが、ソレを表に出すのも、こう、ガキじゃあるまいに。
だから。
照れ隠しってのは、とにかく、激しくやって誤魔化しちまう事。
だよな?山崎。


山崎の返答は、高い空に飲まれて聞こえなかったから、
肯定されたということにして、野良猫の親分の俺は。
自分の縄張りを主張させていただくことにした。
この、肌の上、全部。
あと、中もな。







はー。
家にやっとたどり着いて、多少冷えた体をベッドに包まって温める。
山崎は、なんだかぐったりしちまってて。
調子に乗った?俺がか?まさかまさか。
近所を気にしなくていいから、ちょっと暴れてやっただけだ。
さて、寝るか。

ベッドに包まってる山崎を見下ろして。
電気を消そうとして、スイッチに手を伸ばし…

「?!!??!」

…お?
お、
俺の指に!
なんか、丸いモンが!??!

「山崎?!」
「ひゃっははははは!気づくの遅すぎンだよ!バーカ」

してやったりと言わんばかりに大笑いしてる山崎を組み敷いて。
山崎の左手の指輪を確認して。
自分の手の指輪を確認する。
青みがかった銀色の指輪。
装飾品は何もなし。
「…俺のチカラじゃ、まだその指輪には何の意味も持たせられねぇけどな、まあ、首輪みたいなもんだと思えや」
「意味がないだと?」
「…どこに行ったって、その指輪で通る話はねぇってことよ」
なるほど。
フチュウのどこかで、俺の指輪が役に立ったってワケか。
それで、チョット尊敬?

「い、いーだろ!?俺にゃまだそんなチカラはねーけど、お前にはあるんだ、そりゃソ、ソン、ケーぐらい…」

あわててそこまで言って、口をもごもごさせて、
俺をたたいて。
な、何で俺が叩かれにゃならんのだ?
ふぅ、と、山崎のついたため息が、多少疲れていたから。
そのまま、ベッドに包まって眠ることにした。


山崎の寝息に背中を向けて、指輪を見る。
…意味が無い、か。
無いわけが無いだろう。バカめ。
口元が笑っちまうだろうが。



…まったく…バカモノ、め。




俺の今までの人生に、突然大きな意味なんか持たせやがって。
いい、プレッシャーになると言う物だ。本当にお前は…